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小町大路を材木座に入り水道路の交差点を過ぎると、鎌倉十橋の一つ「乱橋」がある。 「濫橋」と書かれることもある。 鎌倉時代成立の『吾妻鏡』には「濫橋」という記載があるが、新田義貞が鎌倉に攻め入ったときに、北条軍が乱れ始めた場所であることから「乱橋」と呼ばれるようになったのだとか。 義貞が本陣とした所に創建されたという九品寺はすぐ近く。 |
鎌倉十橋 鎌倉十橋MAP |
石碑の刻まれている『吾妻鏡』の記載について・・・ 「1248年(宝治2年)6月18日の条に、寅刻 濫橋の辺に雪が降った」と記録されている。 |
五所神社に置かれている乱橋のものといわれる手摺石。 |
英勝寺の召使3人が潮干狩りかなにかの帰りに、乱橋付近の酒屋で先客8人と喧嘩となり、召使3人は8人に取り押さえられ縄をうたれてしまった。 水戸様のお寺と呼ばれる英勝寺はカンカンに怒って、江戸表に訴えるという騒ぎとなってしまった。 8人は平謝りし始末書をとられたのだという。 |
水戸徳川家の姫君のお寺だったことから、その扱いは大名並みだったという。 |
鎌倉市材木座3丁目 鎌倉駅東口から徒歩25分 |
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