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英勝寺は、鎌倉で唯一の尼寺(浄土宗)。 開基は英勝院尼。 英勝院尼は、徳川家康に仕え「戦には必ず勝利をもたらした」ので「お勝の方」と呼ばれ、家康の命により水戸家初代の徳川頼房の養母となった。 家康の死後、徳川三代将軍家光より先祖・太田道灌の土地を譲り受け、1636年(寛永13年)、英勝寺を建立。 頼房の息女・玉峯清因を開山に迎えた。 壽福寺前にあったとされる鎌倉十橋の一つ「勝ノ橋」は、英勝院尼が架けたことからこの名がついたという。 徳川光圀もこの寺を訪問しており、英勝院尼没後も水戸家の姫君が代々住職を勤めたため「水戸御殿」とも呼ばれた。 ただ、六代の清吟尼を最後に水戸家からの住持は絶え、徳川家の支援によって維持されていたという。 |
開山 | 玉峯清因 |
開基 | 英勝院尼 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
※ | 開基の英勝院尼は、扇谷上杉氏に仕えた太田道灌から数えて四代の孫康資の娘。 |
英勝寺は、尼寺・智岸寺の跡地に建てられた寺。 『十六夜日記』の作者・阿仏尼や瑞泉寺のどこも苦地蔵の伝説が残されている。 |
阿仏尼の墓 『十六夜日記』作者 |
どこも苦地蔵 伝説の地蔵堂 |
『善光寺縁起』は、長野の善光寺の本尊の故事来歴をつづった霊験譚。 平安時代末期に全国的に広まっていたといわれ、巻き物の形式で現存するのは英勝寺所有の『善光寺縁起絵巻』のみ。 『善光寺縁起絵巻』は5巻で一組で、1768年(明和5年)に高松藩主・徳川頼重が奉納したものとされ、釈迦の前世から、阿弥陀如来像の御利益、善光寺の建立までが描かれている。 2020年(令和2年)、鎌倉市の文化財に指定された。 |
※ | 徳川頼重は、水戸徳川家初代・徳川頼房の長男で、徳川光圀の兄。 英勝寺の山門は、頼重が建立したもの。 |
善光寺 |
高松城跡 |
1673年(延宝元年)、鎌倉を訪れた光圀は、英勝寺を拠点に鎌倉の名所・旧蹟を巡った。 このときにまとめられた『鎌倉日記』を基に編纂されたのが『新編鎌倉志』。 |
毎年ゴールデンウィーク中の総門前には、袈裟衣を着て、首から鉦(しょう)を下げて、左手に奉加帳、右手に鉦を打つ槌(つち)を持った鬼が置かれる。 |
妙法華寺は、日蓮六老僧の筆頭・日昭が鎌倉濱土に建てた法華堂を前身とする日蓮宗の寺院。 各地を転々とした後、徳川家康の側室養珠院(お万の方)と英勝院、太田道灌の末孫の尽力により再興された。 濱土の法華堂跡には実相寺が建っている。 |
太田氏は代々日蓮宗を信仰し、太田道灌は江戸城鎮護の祈願所として武蔵国平河村に本住院を創建している(現在の墨田区・法恩寺)。 英勝院の父康資は、日蓮の出身地に建立された誕生寺に墓が営まれている。 兄の重正は妙法華寺が墓所。 |
ツバキ (侘助) |
梅 |
覚園寺の「太郎庵」とともに天然記念物に指定されていた「侘助」は、2023年(令和5年)に枯死が確認されています。 |
ツツジ |
フジ |
ヤマブキ |
ヒガンバナ |
鎌倉市扇ガ谷1−16−3 0467(22)3534 鎌倉駅西口より徒歩15分 |
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