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高松城は、1587年(天正15年)に生駒親正によって築かれた海城。 1639年(寛永16年)に起こった生駒騒動により、四代高俊が出羽国矢島藩に転封となると、高松藩は幕府直轄となり、1642年(寛永19年)、松平頼重が入封。 現在見られる遺構は、頼重によって改修されたもの。 二代藩主となったのは、頼重の弟で水戸藩二代徳川光圀の子頼常。 頼常は頼重の養子となって家督を継いだ。 参考までに、頼重の子綱方と綱條は光圀の養子となり、綱方が家督を継ぐ前に亡くなったことから、綱條が水戸藩の家督を継いでいる。 「玉藻城」とも呼ばれた高松城跡は、現在、玉藻公園として整備されている。 |
松平頼重は、水戸藩初代藩主・徳川頼房の長子。 母は久昌院。 久昌院が懐妊すると、頼房は尾張徳川家・紀州徳川家に男子がいなかったのに遠慮して堕胎を命じたのだという。 誕生できたのは、徳川家康の側室だった英勝院の助けがあったからと伝えられている。 鎌倉の英勝寺は、英勝院が建立した寺。 開山は、頼重の異母姉妹の玉峯清因。 |
高松琴平電気鉄道琴平線高松築港駅下車 JR四国高松駅下車 |
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