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妙法華寺(みょうほっけじ)は、日蓮六老僧の筆頭・日昭が開創した寺院。 1284年(弘安7年)、越後国の武将・風間信昭の帰依を受けた日昭が鎌倉濱土(鎌倉市材木座)に建立した法華堂が起源。 その後、越後村田(新潟県長岡市)の妙法寺、伊豆加殿(静岡県伊豆市)の妙国寺に移り、1621年(元和7年)に現在地に移転した。 徳川家康の側室養珠院(お万の方)・同じく英勝院(お勝の方)・太田道灌の末孫らが再興に尽力したのだという。 大本堂・祖師堂・五重塔・大客殿・大中書院・大小庫裡・塔頭などが建ち並ぶ大伽藍で駿府城にあった養珠院の居間もあったが、1791年(寛政3年)に鐘楼を除いて焼失。 1793年(寛政5年)に再建された。 本尊は三宝尊。 |
日昭は、源頼朝が催した富士裾野の巻狩りの際に曽我兄弟に討たれた工藤祐経の孫。 鎌倉濱土の法華堂は、工藤祐経の邸跡に建てられたのだという。 實相寺も法華堂を前身とする寺で、境内には日昭の墓がある。 |
本堂に安置されている金剛力士像は、仏師湛慶(運慶の子)の造立と伝えられている。 |
焼失を免れた鐘楼は、鎌倉濱土の法華堂に建立されたものと伝えられている。 |
養珠院(お万の方)は、紀伊徳川家の祖徳川頼宣・水戸徳川家の祖徳川頼房の生母。 妙国寺のある伊豆加殿は幼少の頃を過ごしたと場所と伝わり、吉奈温泉にある善名寺で祈祷して頼宣と頼房を授かったのだという。 日遠に帰依した日蓮宗宗徒。 三基の五輪塔の左が養珠院の墓。 |
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![]() ![]() (伊豆の国市) |
江川邸は、伊豆国韮山を本拠とした江川氏の屋敷。 江川氏は源頼朝の挙兵にも参じたという清和源氏。 養珠院は、江川英長の養女となって家康の側室となった。 世界文化遺産の韮山反射炉は、江川英龍の建言によって造られた大砲鋳造のための施設。 |
英勝院(お勝の方)は、水戸徳川家の祖徳川頼房の養母。 画像中央の五輪塔が英勝院の墓。 |
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英勝院は家康の死後、徳川三代将軍家光より先祖・太田道灌の鎌倉の旧蹟を譲り受け、英勝寺を建立。 頼房の息女・玉峯清因を開山に迎えている。 祠堂は英勝院の位牌を安置する堂。 背後に墓が建てられている。 |
英勝院は、扇ヶ谷上杉家の家宰で、江戸城や河越城を築いたことで知られる太田道灌の曾孫康資の娘。 兄の太田重正も妙法華寺の再興に尽力した。 太田氏は代々日蓮宗を信仰し、太田道灌は江戸城鎮護の祈願所として武蔵国平河村に本住院を創建している(現在の墨田区・法恩寺)。 英勝院の父康資は、日蓮の出身地に建立された誕生寺に墓が営まれている。 |
英勝院が建立した英勝寺の裏山には先祖太田道灌の首塚がある。 |
日蓮の霊跡に建てられた龍口寺境内にある龍ノ口刑場跡のお題目は、妙法華寺の大曼陀羅から抜き写したものなのだという。 |
静岡県三島市玉沢1 JR三島駅から玉沢行バス「玉沢」下車 |
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