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江川邸は、江戸時代に徳川幕府の代官だった江川氏の屋敷(重要文化財)。 江川氏は、源満仲の二男宇野頼親を祖とする清和源氏(参考:六孫王神社)。 1156年(保元元年)の保元の乱で崇徳上皇方について敗れた三代目の宇野親信が、従者十三人とともに伊豆国に落ちのび、この地に定住した。 親信の子治信は、1180年(治承4年)の源頼朝の挙兵に参じたと伝えられている。 鎌倉時代、室町時代を通じてこの地で地盤を固め、狩野川の支流の名にちなんで江川氏を名乗るようになる。 戦国時代には北条氏に、江戸時代には徳川氏に仕え、代官としてその地位を世襲してきた。 菩提所は本立寺。 山木にある滝山不動の奥の院に安置されている不動明王は三十五代英毅の奉納。 |
十六代目の英親は、伊東に流されていた日蓮を屋敷に迎え供養をつくしたという。 その時に家屋の修築を行い、日蓮から自筆の棟札が贈られた(1261年(弘長元年))。 そのおかげで、江川邸は700年もの間、火災にあわず無事に保たれてきたのだと伝えられている。 江川氏の菩提所本立寺は、日蓮が教化を行ったところとされている。 |
江川氏は、鎌倉時代に五代執権北条時頼に酒を寄進して褒められているという。 また、北条早雲はそれを「江川酒」として贈答品にした伝えられている。 織田信長や徳川家康も好んだ酒といわれ、豊臣秀吉は醍醐寺で催した「醍醐の花見」に取り寄せたのだとか。 近年、その「江川酒」が復活している。 |
三十六代江川英龍は、1842年(天保13年)、韮山屋敷で、兵が携行する乾パンを製造した。 碑は、パン食が普及していない時代においては画期的なこととして、静岡県パン協同組合によって建立されたもの。 |
韮山反射炉は、三十六代目江川英龍の建言によって造られた大砲鋳造の施設(国指定史跡)。 |
韮山反射炉は世界文化遺産 (明治日本の産業革命遺産) |
世界遺産登録:韮山反射炉(明治日本の産業革命遺産) |
養珠院(お万の方)は、三島本陣で徳川家康に見初められ、江川英長の養女として側室となった。 伊豆最古の湯といわれる吉奈温泉に滞在し、善名寺で祈祷をして紀伊徳川家の祖徳川頼宣と水戸徳川家の祖徳川頼房を産んだのだという。 |
妙法華寺は、日蓮六老僧の筆頭・日昭が鎌倉濱土に建てた法華堂を前身とする寺。 各地を転々とした後、養珠院(お万の方)と英勝院(お勝の方)の尽力により再興された寺。 |
静岡県伊豆の国市韮山韮山1 伊豆箱根鉄道「韮山」駅から徒歩20分 |
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