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東京都目黒区にある大円寺(だいえんじ)は、寛永年間(1624年-1645年)に湯殿山修験道の行者・大海法印が大日如来を本尊として創建したことに始まる寺院(天台宗)。 山号は松林山。 門前の行人坂は目黒不動尊の参詣路で、修験道の行者が往来したことからその名がつけられたのだという。 1772年(明和9年)2月、大円寺の本堂が火元となった明和の大火(行人坂火事)は、江戸市中628町に延焼し、江戸三大火事の一つとなった。 その後、長く再建が許されなかったが、1848年(嘉永元年)、薩摩藩主の島津斉興が再建。 本堂には徳川家康をモデルにしたという大黒天(山手七福神の一つ)と十一面観音立像(区文化財)が安置されている。 |
本堂左手の釈迦堂には、現在の本尊で京都清凉寺の三国伝来の釈迦如来を模刻した「清凉寺式釈迦如来像」を安置。 |
清凉寺式釈迦如来像は、体内から発見された陰刻から1193年(建久4年)に造立されたもので、清凉寺式釈迦如来像としては最古。 清凉寺の三国伝来の釈迦如来と同じように絹や綿で作られた五蔵をもっていることから生身(しょうじん)の釈迦像と呼ばれている(国の重要文化財)。 また、1707年(宝永4年)の木札から、鎌倉の杉本寺にあったことも判明している。 三代執権北条泰時が父義時の供養のために建てた釈迦堂に安置されていたものではないかという説も・・・ |
清涼寺に伝わる「三国伝来の釈迦如来」は、東大寺の僧「然(ちょうねん)が宋より持ち帰った。 |
杉本寺 (鎌倉) |
釈迦堂 (鎌倉・廃寺) |
阿弥陀三尊像を祀る堂。 中尊の阿弥陀如来は左足を下げた半迦の姿で珍しい。 |
境内にある釈迦三尊像 3躯、十大弟子像 10躯、十六羅漢像 16躯、五百羅漢像491躯の計520躯の石仏は、大円寺が火元となった明和の大火(行人坂火事)の犠牲者追悼のため、天明年間(1781年-1789年)に作られたもの。 |
東京都目黒区下目黒1丁目8番5号 JR山手線「目黒駅」から徒歩3分 |
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