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1772年(明和9年)2月29日午後、江戸三大大火の一つといわれる明和の大火が発生。 火元は行人坂の大円寺。 大円寺に盗みに入った真秀という坊主が庫裏に放火したことが原因なのだという。 行人坂から出火したので目黒行人坂大火とも呼ばれる。 この日は、西南の風が強く、煽られた火は3日間にわたって燃え広がり、死者は14700人を超え、行方不明者も4000人を超えたと伝えられている。 山王神社・神田明神・湯島天神・浅草本願寺・湯島聖堂も被災し、老中になったばかりの田沼意次の屋敷も類焼したのだという。 大円寺に火をかけた真秀は、火付盗賊改長官・長谷川宣雄の配下によって捕縛され、6月21日に火あぶりの刑となった。 真秀の俗名は長五郎。 無頼な男(ならずもの)で、放火して人々が混乱している中で利益を得る火事場泥棒の常習者だった。 大円寺には修行僧として住み込んでいた時もあったが、和尚に破門されていたらしい。 真秀を捕らえた火付盗賊改の長谷川宣雄は、池波正太郎の『鬼平犯科帳』で知られる長谷川平蔵宣以の父。 真秀を捕らえた功績で京都西町奉行に栄転するが、翌年死去。 |
放火された大円寺も火元の責任を問われ、再建が許されたのは76年の1848年(嘉永元年)だった。 |
大円寺の境内にある釈迦三尊像3躯、十大弟子像10躯、十六羅漢像16躯、五百羅漢像491躯の計520躯の石仏は、明和の大火の犠牲者追悼のため、天明年間(1781年-1789年)に作られたものといわれている。 |
大円寺の釈迦堂に安置されているのは、京都清凉寺の三国伝来の釈迦如来を模刻した「清凉寺式釈迦如来像」。 鎌倉幕府三代執権北条泰時が父義時の供養のために建てた釈迦堂に安置されていたものではないかという説も・・・ |