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釈迦堂は、1225年(嘉禄元年)、三代執権北条泰時が父義時の供養のために建てたもので、大倉御堂とも呼ばれていた。 供養には鶴岡八幡宮の定豪が招かれたというが、釈迦堂のあった場所や廃絶した時期などは定かではない。 本尊は清涼寺式釈迦如来。 現在、東京目黒の大円寺に本尊として安置されている像が、釈迦堂に安置されていた清涼寺式釈迦如来像といわれている。 釈迦堂があったことで谷戸の名は「釈迦堂ヶ谷」と呼ばれ、土地の人は「しゃかんど」と呼んでいる。 釈迦堂があったと思われる谷の奥は釈迦堂切通となる。 |
大円寺(東京都目黒区)は、江戸初期に建てられた天台宗の寺。 本尊の清涼寺式釈迦如来像は、1193年(建久4年)に造られたもので、清涼寺式釈迦如来像としては最古の像。 人間の胎内と同じように絹や綿で作られた五蔵をもっていることから、生身(しょうじん)の釈迦像と呼ばれ、国の重要文化財に指定されている。 胎内に納入されていた札からは、1707年(宝永4年)当時に杉本寺にあったことが確認されている。 また、『新編相模国風土記稿』には「釈迦堂の本尊は杉本寺に安置してある」と書かれていることから、釈迦堂が廃絶した後、杉本寺に移され、現在は大円寺に安置されているということになるが定かではない。 一説には、扇ヶ谷にあった新清涼寺釈迦堂に安置されていた像が、大円寺に伝えられている像とする説もある。 |
「清涼寺式釈迦如来像」は、京都の清涼寺に伝わる「三国伝来の釈迦如来」を模刻したもの。 「三国伝来の釈迦如来」は、東大寺の僧「然(ちょうねん)が宋より持ち帰った。 |
日月やぐら |
唐糸やぐら |
釈迦堂切通の洞門上には、納骨堂の丸い穴を日輪に、さらに二重に彫られた穴を月輪にたとえて名がつけられた「日月やぐら」や伝説の残る「唐糸やぐら」がある。 初代執権北条時政の名越亭(北条時政邸跡)もあったとされていた(※北条時政邸とされていた史跡は、発掘調査の結果、間違いであったことが確認されている。)。 |
釈迦堂切通と大町釈迦堂口遺跡(okadoのブログ) 北条義時は暗殺されたのか?(okadoのブログ) |
「田楽辻子のみち」は、滑川に架かる大御堂橋の文覚上人屋敷跡から報国寺へ至る道。 |
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