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大町釈迦堂口遺跡は、釈迦堂切通の東側、衣張山西側中腹にある遺跡で、2008年(平成20年)の発掘調査まで、鎌倉幕府初代執権の北条時政邸とされてきた。 しかし、最も古い遺構でも13世紀後半頃のもの推定され、時政が没した時期からすると「北条時政邸ではない」という判断が下された。 また、「建物跡」や「やぐら」などが新たに発見され、寺院跡の可能性が高いとのこと。 そのため、史跡名も「北条時政邸跡」から「大町釈迦堂口遺跡」と変更されている。 北条泰時が義時を弔うために建てた「釈迦堂」かもしれないという説も・・・???。 発掘調査では、青磁の大皿2枚と深皿1枚が発見され、東京国立博物館に保管されている。 |
釈迦堂切通と大町釈迦堂口遺跡(okadoのブログ) |
源頼朝の暗殺を企てた「唐糸」が幽閉されていたと伝えられるやぐら。 頼朝の従兄弟・木曽義仲は、頼朝の様子をうかがうため、琵琶と琴の名手だった唐糸(義仲の家臣手塚太郎光盛の娘)を鎌倉に送り込んだ。 唐糸は、頼朝が義仲を討とうとしていることを知ると、頼朝を暗殺しようとするが、頼朝にその企てを覚られ、釈迦堂近くの「やぐら」に幽閉されてしまう。 それを救ったのが娘の万寿姫で、姫は頼朝に仕えると鶴岡八幡宮に奉納する舞の舞姫に選ばれ、その舞が頼朝に気に入られた。 頼朝の「何でも望みのものをやる」との言葉に、「母親を助けてほしい」と頼んだそうである。 頼朝は驚いたが、その願いを聞き入れたのだという。 |
唐糸やぐらの横にある石仏が置かれたやぐら。 |
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