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釈迦堂切通は、二代執権北条義時を弔うための釈迦堂があったことからつけられた名。 ただ、釈迦堂があった正確な場所は不明。 鎌倉内(釈迦堂ヶ谷と大町、名越を結ぶ。)の切通であるため、鎌倉七口には数えられていない。 |
洞門 |
洞門 |
※ | 釈迦堂切通のある谷は「しゃかんど」と呼ばれている。 |
洞門上の尾根道には、納骨堂の丸い穴を日輪に、さらに二重に彫られた穴を月輪にたとえて名がつけられた「日月やぐら」や、源頼朝の伝説が残された「唐糸やぐら」がある。 |
日月やぐら |
唐糸やぐら |
※ | 釈迦堂切通の近くには、初代執権北条時政の名越亭(北条時政邸跡)もあったとされてきたが、発掘調査の結果、間違いであったことが確認されている。 |
三代執権北条泰時は、父義時(二代執権)の一周忌供養のため釈迦堂を建てた。 釈迦堂の廃絶後、本尊だった清涼寺式釈迦如来立像は、杉本寺に移され、その後、東京目黒区の大円寺に移されたと伝えられている。 「清涼寺式釈迦如来像」は、京都の清涼寺に伝わる「三国伝来の釈迦如来」を模刻したもの。 「三国伝来の釈迦如来」は、東大寺の僧「然(ちょうねん)が宋より持ち帰った。 |
釈迦堂切通と大町釈迦堂口遺跡(okadoのブログ) |
北条義時の釈迦堂のあった場所は、釈迦堂トンネルの西側にあったと考えられている。 そこには、宝戒寺二世住持の普川国師入定窟を中心とする「釈迦堂ヶ谷やぐら群」が存在していたが、宅地造成によってほとんど破壊されてしまったらしい。 やぐら群の発掘調査では、「元弘3年5月28日」の日付が刻まれた五輪塔の地輪が発見されている。 この日は、新田義貞の鎌倉攻めによって東勝寺で北条高時以下870名が自刃した日から、ちょうど初七日にあたることから、北条一族供養の五輪塔であるとされ、普川国師入定窟も北条一族の供養窟であったと考えられている。 |
鎌倉駅から金沢八景・大刀洗行・ハイランド循環バス 「杉本観音」下車徒歩10分 ※現在は通行止めとなっています。 |
「田楽辻子のみち」は、滑川に架かる大御堂橋の文覚上人屋敷跡から報国寺へ至る道。 |
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