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京都:清凉寺の本堂
〜三国伝来の釈迦如来〜

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清凉寺本堂


 清凉寺の本堂(釈迦堂)は945年(天慶8年)の創建。

 重明親王妃が新堂を建て、等身大の釈迦像を安置したことに始まる。

 一説にはこれが「釈迦堂」の名の由来であるともいう。

 創建後、度重なる焼失に遭うが、その都度再建され、現在の建物は1701年(元禄14年)に再建された。

 本尊は釈迦如来(国宝・三国伝来の釈迦如来)。

 徳川綱吉とその母桂昌院の寄進という宮殿に祀られている。

 京都府指定文化財。





清凉寺釈迦如来
三国伝来の釈迦如来
(木造釈迦如来立像:国宝)


 古代インドのコーシャンビー国の優填王(うでんのう)は、釈迦が母摩耶夫人(まやぶにん)に法を説くため不在となったことを悲しんで、栴檀(せんだん)の木で釈迦の等身の像を造らせた。

 のちにこの像が中国に伝えられ、983年(永観元年)、東大寺の僧「然(ちょうねん)が入宋した折には、台州の開元寺でこの像を拝したという。

 985年(寛和元年)、「然はその像を模刻させて日本に持ち帰り、一時、上品蓮台寺に安置されていたが、「然の没後、弟子の盛算(じょうさん)によって建立された清凉寺に移された。

 インド〜中国〜日本に伝わったことから「三国伝来の釈迦如来」と呼ばれる。

 日本三如来の一つに数えられる。 


 木造釈迦如来立像は、張延皎并張延襲作。

 背板の裏には「大宋国台州張延皎并弟延襲雕」、反花座の表には「唐国台州開元寺」「僧保寧」の刻銘 

 蓮弁葺軸の底に「建保六年大仏師法眼快慶修造」の墨書銘がある。



清凉寺
生身の釈迦如来
(像内に納入された絹の五臓六腑)


 三国伝来の釈迦如来像は、釈迦が37歳のときの生き姿を刻んだもの。
 
 優填王が造らせた像を見た釈迦は「自分の亡き後はこの像が衆生を救うことだろう」といったという。

 1954年(昭和29年)、像内から中国尼僧が絹で作った五臓六腑が発見されている。 

 像内の納入品一切が国宝に指定されている。





〜鎌倉安養院の田代観音〜

 鎌倉安養院の本尊千手観音の胎内に納められているという田代観音も東大寺の「然が宋より持ち帰ったものと伝えられている。





〜清凉寺式釈迦如来〜

 清凉寺の三国伝来の釈迦如来は、全国に模刻が広まり、清凉寺式釈迦如来として鎌倉の極楽寺や横浜の称名寺にも伝えられている。

 東京目黒の大円寺の清凉寺式釈迦如来は最古と言われる。









京都:清凉寺
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京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46

・JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」より徒歩15分
・京福電鉄「嵐山駅」より徒歩10分
・市バス・京都バス「嵯峨釈迦堂前」下車徒歩2分



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