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真如堂は、984年(永観2年)、比叡山の戒算(かいさん)が、常行堂の本尊阿弥陀如来(慈覚作)を円融天皇の女御で一条天皇の生母である東三条院(藤原詮子)の離宮に安置したのが始まり。 真如堂とは本堂の名称で、正式には鈴聲山(れいしょうざん)真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)という天台宗の寺。 不断念仏の道場として栄え、浄土宗の法然や浄土真宗の親鸞をはじめとする念仏行者や多くの民衆の信仰を集め、特に女性の深い信仰を得てきた。 しかし、応仁の乱による戦火で堂塔は焼失。 その後、各所を転々したが1693年(元禄6年)に東山天皇の勅により現在地に再建された。 真如堂は、「お十夜」発祥の地。 |
延暦寺の西塔にある常行堂と法華堂は、弁慶が廊下に肩を入れて担いだという伝説が残されていることから「にない堂」とも呼ばれる。 |
本堂 うなづきの弥陀 |
三重塔 |
本堂に安置されている阿弥陀如来は、藤原詮子ゆかりの像。 「うなづきの弥陀」と呼ばれる女性救済の仏さま。 脇侍の不動明王は、閻魔大王に頼んで安倍晴明を蘇生させたという晴明の念持仏。 |
元三大師堂 |
鎌倉地蔵 |
元三大師堂は、比叡山中興の祖といわれる慈恵大師良源を祀る。 鎌倉地蔵は、鎌倉から京都にやってきたという石像。 |
換骨堂 (元真如堂) |
日吉神社 |
換骨堂は、真如堂の旧地にあることから元真如堂とも呼ばれ、東三条院(藤原詮子)の供養塔が建てられている。 日吉神社は、真如堂の守護神として日吉大社を勧請して創建された社。 |
永享年間(1429〜41年)、平(伊勢)貞国は、願い事のため三日三晩の参籠をし、満願の暁には出家しようとしていたが、夢に高僧が現れ 「おまえが私を信じるなら、来世には必ず救われる。今の世の事は3日まて」 と告げたという。 すると、三日後に、足利義教に仕えていた兄貞経が隠居を命ぜられ、貞国が兄の後を相続することになった。 お告げがなかったら、自分は出家してしまい、兄の跡を継ぐどころか家が絶えてしまうところだった。 貞国は、夢のお告げに感謝し、その後七日七晩重ねて参籠したということである。 これが「お十夜」の始まりとなったという。 |
※ | 伊勢氏は代々室町幕府の政所執事を務め、戦国大名北条早雲は貞国の娘が生んだ子だという。 |
京都市左京区浄土寺真如町82 市バス「真如堂前」または「錦林車庫前」下車徒歩8分 |
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