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1693年(元禄6年)から1717年(享保2年)にかけての建立。 「真如堂」の額は1726年(享保11年)、宝鏡寺宮から寄進されたもの。 徳川五代将軍綱吉と桂昌院によって寄進された宮殿の中には、本尊阿弥陀如来、安倍晴明の念持仏といわれる不動明王、千手観音が祀られている。 |
本尊の阿弥陀如来は、比叡山の慈覚大師円仁の作。 慈覚が「比叡山の修行僧のための本尊になって下さい」と祈ると首を横に振り、 「都へ下って、すべての人々をお救い下さい。特に女性をお救い下さい」 と祈ると頷いたのだという。 そのため「うなづきの弥陀」と呼ばれている。 しばらく、比叡山の常行堂に安置されていたが、戒算の夢枕に阿弥陀如来が現れて 「急ぎ下山させよ」 と告げたことから、一条天皇の生母・東三条院(藤原詮子)の離宮に安置されたのだという。 それが真如堂の始まりとなる。 詮子も戒算と同じ夢を見ていたのだとか。 |
比叡山の常行堂は、法華堂と廊下で結ばれ、弁慶が廊下に肩を入れて担いだという伝説から「にない堂」と呼ばれる。 |
本尊脇侍の不動明王は、安倍晴明の念持仏とされる像。 伝説によると・・・ 不慮の死で閻魔大王の裁判を受けることとなった晴明。 そこへ不動明王が現れて晴明の命乞いをした。 その願いを聞き届けた閻魔大王は晴明に 「天寿を全うでき、死後にこの印を持ってきた者は必ず極楽往生できる五行之印(決定往生の秘印)」 を授けた。 蘇った晴明は、85歳まで生き、多くの人々に印を施したのだとか。 |
晴明神社は、晴明の死後、一条天皇が晴明の偉業を讃えるために創建。 |
京都市左京区浄土寺真如町82 市バス「真如堂前」または「錦林車庫前」下車徒歩8分 |
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