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「連署」とは、鎌倉幕府の役職の一つで、執権を補佐する役。 幕府の公文書に執権とともに署名をしたことから「連署」と呼ばれた。 1225年(嘉禄元年)、北条泰時が叔父の時房を任命したのが始まりとされる。 以後、北条重時、北条政村、北条時宗、金沢貞顕など、北条一族の有力者が就任した。 |
『吾妻鏡』によると、泰時が執権に就任した1224年(貞応3年)6月28日、北条政子は時房を後見役に任命している。 この記述から、連署は政子が設置したものと考えられてきたが、現在では政子の死後に泰時が設置し、時房を任命したとする説が定着している。 |
執権 | 連署 |
評定衆11名 |
連署を設置した泰時は、続いて評定衆11名を任命し、計13名による合議制を敷いた。 |
北条泰時の集団指導制・合議政治〜連署と評定衆〜 御成敗式目〜北条泰時が評定衆に書かせた起請文〜 |
五代北条時頼が執権を引退すると、六代執権に長時、七代執権に政村がなったが、これは得宗家(北条時頼)の嫡子時宗が幼かったための措置であった。 1268年(文永5年)、幕府は、これまで連署だっだ時宗を執権とし、執権であった政村を連署とする人事を行っている。 |
北条泰時死後の政局と北条時頼〜宝治合戦〜(okadoのブログ) 得宗専制政治を確立した北条時頼(okadoのブログ) |
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