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海蔵寺が建てられる前のこの地には、真言宗の寺が建てられいた。 その旧蹟に、1253年(建長5年)、六代将軍宗尊親王の命によって、藤原仲能(道智禅師)が七堂伽藍を備えた寺院を建立したが、1333年(元弘3年)、新田義貞の鎌倉攻めによる兵火をうけて焼失してしまう。 その後、1394年(応永元年)に鎌倉公方の足利氏満の命を受けた上杉氏定が建立したのが海蔵寺。 開山には、心昭空外が迎えられた。 本尊の薬師如来は、胴体部(胎内)にもう一つの薬師の顔を納めた像で、「啼薬師」「児護薬師」と呼ばれる。 庫裡は、鎌倉寺院の庫裡建築を代表するもので、歴史的価値が高い。 門前には鎌倉十井の一つ「底脱ノ井」が、仏殿裏には十六の穴が掘られた「十六ノ井」がある。 |
開山 | 心昭空外(源翁禅師) |
開基 | 上杉氏定 |
本尊 | 薬師如来 |
鎌倉観音巡礼 第26番札所((十一面観世音) 鎌倉地蔵巡礼 第15番札所(岩船地蔵) 鎌倉十三仏 第7番札所(薬師如来) 鎌倉の臨済宗の寺 |
禅〜自身で開く悟り:鎌倉新仏教〜(okadoのブログ) |
本堂 心昭空外像を安置 |
仏殿 (薬師堂) 伝説の薬師如来 |
庫裡 鎌倉を代表する建築 |
鐘楼 |
底脱ノ井 (鎌倉十井) |
十六ノ井 謎の十六穴 |
岩船地蔵堂 大姫の守本尊 |
雨宝殿 (宇賀福神) |
平景清の伝説 景清窟 |
狐退治の伝説 殺生石 |
心昭空外は、蘭渓道隆(大覚禅師)五世の孫といわれている。 一方、殺生石伝説の源翁禅師は曹洞宗の僧だった人で、大覚禅師に帰依して臨済宗に改めたといわれ、大覚禅師に送られた諡(おくりな)が空外だったという説がある。 |
永享の乱は、1438年(永享10年)、鎌倉公方四代目の足利持氏が、六代将軍足利義教に対して起こした反乱。 扇谷上杉家の持朝に仕えていた海老名上野介は、足利持氏に味方したため敗れ、海蔵寺で自刃したと伝えられている。 |
海蔵寺から鎌倉七口の一つ仮粧坂を上れば源氏山公園。 葛原ヶ岡・大仏ハイキングコースの中間地点。 |
鎌倉市扇ガ谷4−18−8 0467(22)3175 鎌倉駅西口より徒歩20分 |
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