鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉検定 鎌倉の紅葉



「鎌倉殿の13人」関連人物集
(2022/03/11更新)

編集:yoritomo-japan.com








源頼朝の正妻
北条政子

 北条政子は、北条時政の娘・義時の姉。

 母は伊東祐親の娘とも・・・



伊東祐親の娘・頼朝の最初の妻
八重姫

 頼朝が最初に結ばれたのが伊東祐親の娘八重姫

 頼朝と八重姫との間には男児が誕生し、千鶴丸と名づけられていましたが・・・



頼朝の長男
千鶴丸

 頼朝八重姫との間に生まれた子ですが、伊東祐親に殺されてしまいます。



北条政子の弟・義時の兄
北条宗時

 政子の弟で義時の兄の宗時は、石橋山の戦いで討死してしまいます。



頼朝と政子の長女
大姫

 木曽義高の婚約者だったという大姫

 頼朝に最愛の義高を殺されて・・・



頼朝と政子の次女
三幡

 入内が決まっていたという三幡ですが、頼朝亡き後、間もなく病気に・・・



北条時政の後妻 政子・義時の継母
牧の方

 牧の方は・・・

 「政子に頼朝の浮気をばらした」・「畠山重忠を滅亡させた」・「自分の娘婿平賀朝雅を将軍にしようとした」という女性。

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では「りく」という名で登場。



頼朝の愛人
亀の前

 亀の前は、頼朝が伊豆の流人時代から寵愛していたという女性。

 政子に匿われていた家を打ち壊されて・・・



頼朝の乳母・比企能員の義母
比企尼

 比企尼は、流人頼朝を支援し続けた乳母。

 長女を安達盛長に、次女を河越重頼に、三女を伊東祐清に嫁がせています。



頼朝の乳母・小山政光の妻
寒河尼

 寒河尼は、頼朝の挙兵時に下野国の小山政光を頼朝の味方につけた乳母。

 「鎌倉殿の13人」の一人八田知家は兄弟、頼朝に可愛がられた結城朝光は子。



源頼朝の弟
阿野全成

 阿野全成頼朝の異母弟、義経の同母兄。

 母は常盤御前



政子の妹・全成の妻
阿波局

 阿波局は、時政の娘。

 政子義時の妹。

 頼朝の異母弟阿野全成の妻となり源実朝の乳母を務めました。

 梶原景時の滅亡のきっかけをつくったのは阿波局・・・

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では「実衣」(みい)という名で登場。



源頼朝の弟
源義経

 木曽義仲追討一ノ谷屋島壇ノ浦で活躍した源義経でしたが、頼朝と対立して奥州平泉衣川館で自刃・・・



源頼朝の弟
源範頼

 木曽義仲追討一ノ谷壇ノ浦で活躍した源範頼でしたが、謀反の疑いをかけられ修禅寺で自刃・・・



頼朝・全成・義経の父
源義朝

 頼朝・全成・義経の父源義朝は、平治の乱平清盛に敗れ、尾張国野間で家臣の裏切りに遭って暗殺されました。



平家打倒の令旨
以仁王

 以仁王後白河法皇の皇子。

 全国の源氏に平家打倒の令旨を発しました。



令旨発出を勧めた摂津源氏
源頼政

 源頼政は平清盛の政権下で従三位まで昇った武将。

 以仁王令旨を発出するよう勧めたのは頼政でした。



源頼朝・源義経の叔父
源行家

 頼朝以仁王の令旨を届けたのは叔父の源行家でした。



義経に仕えた荒法師
弁慶

 京都の五条大橋源義経に負けて臣従した武蔵坊弁慶

 弁慶が臣従を誓ったのは清水の舞台とも・・・



義経の妾
静御前

 源義経の妾静御前は、頼朝と不仲となった義経に従って都を落ちますが・・・吉野山で捕らえられ・・・



源頼家の遺児
公暁

 公暁は、二代鎌倉殿の源頼家の次男。

 園城寺で修行した後、鶴岡八幡宮の別当に就任しますが・・・叔父の実朝を暗殺・・・



源頼朝・義経の従兄弟
木曽義仲

 木曽義仲は、平家を都落ちさせましたが、頼朝が派遣した範頼義経に討たれました・・・



義仲の嫡子・大姫の許嫁
木曽義高

 頼朝木曽義仲を討つと、鎌倉に人質としていた子の義高も誅殺します。

 ただ、大姫は・・・



義仲の妾
巴御前

 巴御前は、板額御前と並び称される女武者。

 木曽義仲滅亡後は、和田義盛の妻となって朝比奈義秀を産んだという説も・・・



義仲の重臣
今井兼平

 今井兼平は義仲と乳兄弟。

 粟津の戦いで義仲とともに壮絶な最期を遂げました。



甲斐源氏
武田信義

 伊豆国で挙兵した頼朝に呼応して駿河国に侵攻した武田信義

 富士川の戦いでは平家軍を敗走させました。



甲斐源氏
武田信光

 武田信光は、武田信義の五男。

 武田流流鏑馬は、信光を祖とする安芸武田氏に伝えられた弓馬術。



甲斐源氏
小笠原長清

 小笠原長清は、甲斐源氏・加賀美遠光の次男。

 小笠原流流鏑馬は、長清からの受け継がれた伝統技術。



北条義時の正室
姫の前

 義時の正室は姫の前

 義時が一年間も恋文を送り続けた女性。

 しかし、比企能員の変で・・・



北条義時の後妻(継室)
伊賀の方

 義時の後妻伊賀の方は、義時亡き後、北条政子に謀反を疑われて・・・



伊賀の方の弟
伊賀光季

 伊賀光季は、義時の後妻伊賀の方の弟。

 母は二階堂行政の娘。

 京都守護を務めていましたが、承久の乱後鳥羽上皇の招聘に応じず自害。



北条義時の子
北条泰時

 北条政子は「承久の乱に勝利できたのは半分以上は泰時の手柄によるもの」と語っています。



北条政子・義時の異母弟
北条時房

 北条泰時とともに承久の乱で活躍した北条時房

 乱後、泰時とともに六波羅探題に就任しています。



三浦義澄の子
三浦義村

 三浦義村は、頼朝亡き後の御家人間の争いに深く関わってきた武将。



和田義盛の三男
朝比奈義秀

 大力武勇の猛者として知られる朝比奈義秀

 父義盛が義時打倒の挙兵をした和田合戦でも猛威をふるいました。



頼朝の乳母山内尼の子
山内経俊

 山内経俊は、頼朝の乳母山内尼の子ですが・・・

 頼朝の挙兵時には、頼朝に弓を引いてしまい・・・



頼朝に挙兵を勧めた怪僧
文覚

 文覚神護寺を再興をした僧。

 伊豆国では頼朝に挙兵を勧めたのだとか・・・



牧の方の父もしくは兄
牧宗親

 牧宗親は、頼朝の愛人亀の前が匿われている屋敷を破壊した・・・









源頼朝を救った武将
土肥実平

 土肥実平は相模国の豪族。

 石橋山の戦いで敗れた頼朝を手引きして真鶴から安房国へ船出させました。



三浦義明の弟
岡崎義実

 岡崎義実は相模国の豪族。

 三浦一族の総帥三浦義明の弟。

 石橋山の戦いでは嫡男の義忠を失っています。



頼朝の挙兵に参じた四兄弟
佐々木四兄弟

 佐々木四兄弟は、渋谷重国に庇護されていた近江源氏・佐々木秀義の子たち。

 定綱経高盛綱高綱



伊豆第一の武将
工藤茂光

 工藤(狩野)茂光は、伊豆第一と呼ばれた武将。

 頼朝の挙兵に参じますが、石橋山の戦いで討死してしまいます。



源頼朝に鎌倉入りを進言
千葉常胤

 千葉常胤は下総国の武将。

 安房国で再挙した頼朝鎌倉入り進言しました。



梶原景時に暗殺された
上総広常

 上総広常は上総国の武将。

 頼朝の挙兵に二万騎を率いて参上しましたが・・・



頼朝の乳母寒河尼の子
結城朝光

 結城朝光は、下野国の小山政光と頼朝の乳母寒河尼の子。 



鎌倉武士の鑑
畠山重忠

 畠山重忠は武蔵国の武将。

 頼朝の鎌倉入り奥州征伐上洛などで先陣を務め「鎌倉武士の鑑」と呼ばれました。



畠山重忠の弓馬の友
下河辺行平

 下河辺行平は下総国の武将。

 頼朝から「日本無双の弓取」と称賛されました。



無常観を感じて出家
熊谷直実

 熊谷直実は武蔵国の武将。

 一ノ谷の戦いで平敦盛と一騎討ちを演じました。



頼朝七騎の一人
田代信綱

 田代信綱は伊豆国の武将。

 頼朝真鶴から安房国へわたる際の七騎のうちの一人。 



山木兼隆を討った武将
加藤景廉

 加藤景廉は伊豆国の武将。

 頼朝の挙兵に従い、山木館襲撃では佐々木盛綱とともに伊豆国目代の山木兼隆を討ち取りました。



比企能員を暗殺した武将
仁田忠常

 仁田忠常は伊豆国の武将。

 頼朝の挙兵時から従い、富士裾野の巻狩りでの猪退治の伝説で知られています。

 頼家の嫡子一幡の乳母夫。



比企能員を暗殺した武将
天野遠景

 天野遠景は伊豆国の武将。

 北条時政の命で仁田忠常とともに比企能員を暗殺しました。



木曽義高誅殺を命じられた武将
堀親家

 堀親家は伊豆国の武将。

 石橋山の戦いで大敗した頼朝を守るため、佐々木高綱加藤景廉天野遠景らとともに奮戦しました。



曽我兄弟に討たれた武将
工藤祐経

 工藤祐経は伊豆国の武将。

 伊東祐親の子河津祐泰を殺害したことから、祐泰の子(曽我兄弟)に討たれました。









我が国で初めて武家政権を樹立
平清盛

 平清盛は、我が国初の武家政権を築き栄華を極めました。



頼朝を助けた清盛の継母
池禅尼

 平治の乱後、捕らえられた頼朝は、池禅尼の助命嘆願で伊豆国流罪となったと伝えられています。



平家方:相模国大庭郷の武将
大庭景親

 大庭氏は、鎌倉権五郎景政が開発した大庭御厨の経営を行っていた豪族。

 景親は頼朝に敵対して処刑されましたが、兄の景義は頼朝に味方しています。



平家方:伊豆国伊東の武将
伊東祐親

 伊東祐親は、頼朝の最初の妻八重姫の父。

 富士川の戦いの際に捕えられ、三浦義澄邸で自刃しました。



伊東祐親の嫡男
河津祐泰

 河津祐泰は伊東祐親の嫡男。

 工藤祐経に殺されますが、子の曽我兄弟が仇討ちを果たしています。



伊東祐親の次男
伊東祐清

 伊東祐清伊東祐親の子ですが、頼朝の乳母比企尼の娘を妻とし、祐親に殺されそうになった頼朝を助けています。



伊東祐親の家人
江間次郎

 江間次郎は、狩野川を挟んで北条郷の対岸にあった江間郷の武将。

 伊東祐親の娘八重姫が嫁がされています・・・

 参考:江間小四郎と呼ばれた北条義時



平家の目代
山木兼隆

 山木兼隆は伊豆国の目代。

 源氏再興の挙兵をした頼朝の最初の標的とされました。



平清盛の三男:平家軍総大将
平宗盛

 平宗盛は、壇ノ浦の戦いで捕らえられ、鎌倉に送られた後、近江国篠原宿で源義経に処刑されました。



平清盛の五男:南都焼討の武将
平重衡

 平重衡は、南都焼討東大寺興福寺を焼いた武将。

 一ノ谷の戦いで捕らえられ、鎌倉に送られた後、南都に引き渡され、木津川で斬首されました。



河津祐泰の遺児
曽我兄弟

 曽我兄弟は工藤祐経に殺害された河津祐泰の遺児。

 幼かった兄弟は曽我祐信のもとで育ち、富士裾野の巻刈りの時に工藤祐経を討ち取りました。





後白河法皇

 後白河法皇は、頼朝に「日本国第一之大天狗」と評されるほど巧みな政略で朝廷権威の存続を図りました。



安徳天皇

 安徳天皇後白河法皇の孫。

 壇ノ浦の戦いで平家一門とともに海に沈みました。



丹後局(高階栄子)

 丹後局は、後白河法皇の側室。



平知康

 平知康は、後白河法皇の近侍した武将。

 鼓の名手で「鼓判官」(つづみのほうがん)と呼ばれていました。



九条兼実

 九条兼実は、後白河法皇の崩御後、関白として朝廷の主導権を握り、頼朝の征夷大将軍を実現させた公卿。



後鳥羽上皇

 後鳥羽上皇は、北条義時打倒の挙兵をして承久の乱を起こしますが、幕府軍に敗れ、隠岐に流されました。





義経を匿った北方の王者
藤原秀衡

 藤原秀衡は、奥州藤原氏の三代当主。

 二度にわたって源義経を庇護しました。



中尊寺ハス

 鎌倉の永福寺跡では、平泉町から寄贈された中尊寺ハスが咲きます。





義時の時代に活躍した仏師
運慶

 運慶興福寺を拠点とした奈良仏師。

 北条時政願成就院和田義盛浄楽寺の造仏にかかわっています。



実朝に影響を与えた僧
栄西

 栄西は、我が国臨済宗の開祖。

 源実朝『喫茶養生記』を献上しています。





2022年のNHK大河ドラマは・・・
北条義時!

鎌倉殿の13人


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源氏ボタルよりともくん。








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