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源頼朝の乳母を務めた寒河尼は、下野国宇都宮氏の二代当主・宇都宮宗綱(八田宗綱)の娘。 下野国小山荘の小山政光の後妻。 子に結城朝光がいる。 頼朝に仕えた八田知家は兄弟。 |
『吾妻鏡』によると、 1180年(治承4年)10月2日、石橋山で敗北後、安房国で再起し、鎌倉を目指して隅田川を渡った源頼朝。 布陣した武蔵国隅田宿に、寒河尼が14歳の末子を連れてやってきた。 頼朝は、すぐに御前に呼んで懐かしい話などをし、寒河尼が子を側近として奉公させたいと願うと、頼朝は烏帽子親となって元服させたのだという。 付けられた名は小山七郎宗朝(のちの結城朝光)。 |
寒河尼の夫小山政光は、下野国の有力武将。 源頼朝が挙兵したときは大番役で京都にいた。 寒河尼の行動で、小山氏は頼朝に従うこととなり、政光も頼朝の御家人として働くこととなる。 |
『吾妻鏡』によると、 1187年(文治3年)12月1日、頼朝は、大功を立てた寒河尼に、下野国の寒河郡の地頭職と網戸郷の地頭職を与えている。 ※寒河尼の大功とは、挙兵時に小山氏を頼朝の味方につけた事かと・・・ 野木宮合戦で活躍した小山氏 |
1228年(安貞2年)2月4日没(91歳)。 |
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