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『吾妻鏡』によると・・・ 1180年(治承4年)8月、伊豆で源氏再興の挙兵をした源頼朝は、石橋山の戦いで敗れたものの、真鶴から安房へ渡り再起します。 そして、10月2日、鎌倉を目指す頼朝は、上総広常と千葉常胤が用意した船で太井川(現在の江戸川)、隅田川を渡河、軍勢は三万騎にも膨れ上がったのだと伝えられています。 『吾妻鏡』の記録にはありませんが・・・ 10月4日に参陣する江戸重長は、下総国と武蔵国の境にあたる「隅田の渡し」を管理していて、頼朝の隅田川渡河に協力したのだと伝えられています。 |
下総国から武蔵国に入った源頼朝は、隅田宿に布陣します。 墨田区の東白鬚公園は、平安時代末頃の隅田宿があった所と推定されています。 その隅田宿の頼朝を訪れたのが乳母を務めた寒河尼。 寒河尼が子を側近として奉公させたいと願うと、頼朝は烏帽子親となって元服させ、小山七郎宗朝と名付けたのだといいます。 のちの結城朝光です。 |
隅田川神社 |
牛嶋神社 |
袖摺稲荷神社 |
石M神社 |
鳥越神社 |
今戸神社 |
清光寺 |
金剛寺 |
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