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清光寺は、豊島清元(清光)が建立した寺院。 真言宗智山派。 本尊は不動明王。 |
豊島清元は、武蔵国豊島郡を本拠とし、源義家・源義朝に仕えた武将。 「清光」で知られているが「清元」が正しいことが判明している。 父は豊島氏の祖ともいわれる豊島康家。 豊島氏は平良文の孫・将恒を祖とする秩父氏の一流。 1180年(治承4年)8月17日、伊豆国で源頼朝が挙兵したときの行動は不明だが・・・ 『吾妻鏡』によると、石橋山で敗れて安房国へ渡った頼朝は、9月3日、小山朝政・下河辺行平・豊島清元・葛西清重(清元の子)に参陣するよう書状を出している。 特に葛西清重には、頼朝に敵対していた江戸重長と河越重頼の中間にあって陸路で参じるのは困難だろうから海路で参ずるよう丁寧な言葉があったのだという。 また、豊島朝経(清元の子または孫)の妻には綿衣の進呈を命じている(朝経は大番役で京都にいた。)。 このときは、清元も清重も参陣することはできなかったが、10月2日、頼朝が隅田川を渡って武蔵国に入ると足立遠元とともに参陣し、頼朝が鎌倉に武家の都を創始させると御家人に列した。 |
王子の地名の由来となった王子神社は、豊島氏が再建した社。 |
上中里の平塚神社も豊島氏の館跡。 豊島近義が源義家・義綱・義光の三兄弟祀ったことに始まる社。 |
滝野川の金剛寺は、源頼朝の布陣伝承地とされている。 |
東京都北区豊島7−31−7 東京メトロ南北線「王子神谷駅」より 徒歩10分 |
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