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葛西清重は、豊島清元(清光)の三男。 豊島氏は、桓武平氏で武蔵国秩父郡を本拠とした秩父氏の一流。 母は秩父重弘の娘。 葛西御厨を相続し葛西氏を名乗る。 1180年(治承4年)、石橋山の戦いで敗れた源頼朝が安房(源頼朝上陸地)に渡り、千葉常胤や上総広常を従えて鎌倉を目指して進軍してくるとこれに加わった。 このとき、石橋山の戦いで大庭景親に従った江戸重長を服属させている。 平家追討や奥州征伐にも従軍し、頼朝亡き後の和田合戦でも活躍した。 1185年(元暦2年)の平家追討では、西海(九州)において特に功があったとして、北条義時・小山朝政・小山宗政・中原親能・加藤景廉・工藤祐経・宇佐美祐茂・天野遠景・仁田忠常・比企朝宗・比企能員とともに頼朝から感状を受けている。 1189年(文治5年)の奥州征伐では、父清元とともに遠征軍に加わって活躍し、戦後に奥州総奉行に任じられている。 葛飾区四ツ木にある西光寺は、清重の創建で、その居館跡に建てられたとされている。 鎌倉での館は、葛西ヶ谷(東勝寺跡のある谷)にあったとされ、「葛西」の名が地名として残されている。 |
葛飾区四つ木1−25−8 京成押上線「四ツ木」駅から徒歩10分 |
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