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木曽義仲の愛妾・巴御前の供養塔。 巴御前は、義仲の平家討伐に従軍した女武者で、越後国の板額御前とともに女傑の代名詞として知られている。 鎌倉に人質として送られた義仲の嫡男義高の母とも・・・ 『平家物語』は、1184年(寿永3年)1月20日、源頼朝が派遣した源範頼と源義経に義仲が敗れると、義仲とともに近江国粟津まで逃げるが、義仲が生き延びるよう懇願したことから、最後の戦で敵将・恩田八郎を討ち取った後、落ち延びたのだと伝えている。 また、『源平盛衰記』によると、粟津での戦いを落ち延びた巴は、鎌倉幕府に召されて侍所別当の和田義盛の妻となって朝比奈義秀を産み、1213年(建暦3年)5月、義盛が北条義時打倒の挙兵をして滅ぼされると、越中国で出家し、91歳まで生きたのだという。 尼僧となった巴は、義仲の菩提を弔っていたとも伝えられるが、鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』に巴の記載はない。 |
木曽義仲の妾巴御前と戦った畠山重忠 |
木曽義仲の墓 (義仲寺) |
巴地蔵堂 (義仲寺) |
今井兼平の墓 (大津市) |
巴と義仲の五輪塔 (小田原:善栄寺) |
今井兼平は、義仲の乳兄弟で巴御前の兄弟ともいわれる武将。 粟津の戦いで義仲とともに壮絶な最期を遂げた。 小田原の善栄寺は、巴御前が木曽義仲と和田義盛の菩提を弔うために創建したと伝えられる。 |
正行院 (横須賀市) |
横須賀市の正行院は、和田義盛が巴御前の菩提寺として創建したのだという。 |
「太刀 銘有綱」は、巴御前が帯びていたと伝えられている太刀(個人蔵)。 |
粟津の戦い:木曽義仲と今井兼高の最期 |
木曽義仲が育った地といわれる木曽には、義仲や巴御前の存在を後世に伝えるため資料館としての義仲館が建てられている。 |
巴御前像が建てられている徳音寺には、義仲・母の小枝御前・巴御前・樋口兼光・今井兼平の墓が建てられている。 |
滋賀県大津市馬場1-5-12 JR 「膳所駅」 から徒歩10分 京阪「京阪膳所駅」 から徒歩10分 |
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