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徳音寺(とくおんじ)は、木曽義仲一族の菩提寺。 臨済宗妙心寺派。 本尊は聖観音菩薩。 1168年(仁安3年)、義仲が母の小枝御前の菩提を弔うために建てた柏原寺を始まりとすると伝えられ、もとは門前を流れる木曽川の上流にある巴淵の近くにあったのだという。 義仲・小枝御前・巴御前・樋口兼光・今井兼平の墓が建てられている。 |
※ | 樋口兼光は義仲四天王の一人。父は中原兼遠。 |
※ | 今井兼平は義仲四天王の一人。父は中原兼遠。 |
木曽義仲は、源義賢の次男。 父の義賢は、武蔵国の秩父重隆と結んでその娘を妻(小枝御前か?)とし、武蔵国比企郡大蔵に館を構えていたが、1155年(久寿2年)8月16日、源義朝(義賢の異母兄)の子義平に攻められ最期を遂げた。 その後、義仲は信濃国へ逃れて乳母夫の中原兼遠のもとで育てられたのだという。 |
源義賢の墓 (埼玉県嵐山町) |
義仲産湯井の清水 (埼玉県嵐山町) |
石清水八幡宮で元服した木曽義仲〜平家物語〜 |
木曽谷を乗馬で駆け回っていたという巴御前。 「川を飛び越えてみよ」といわれると、見事に飛び越えたのだという。 その時、馬の蹄が石にめり込んでくぼみができたのだとか。 |
1180年(治承4年)、以仁王が全国の源氏に平家打倒の令旨を発すると、伊豆の源頼朝・甲斐の武田信義・木曽の義仲が挙兵。 1183年(寿永2年)、義仲は平家軍を破って入京したが、後白河法皇と対立し、翌1184年(寿永3年)1月20日、源範頼と源義経に攻められ、近江国の粟津で最期を遂げた。 義仲廟は、義仲の二十四代の孫木曽義陳が天明年間(1781年−1789年)に建立したのだという。 |
堂内の義仲像は、1975年(昭和50年)に彫刻家の笹村草家人が奉納したもの。 像の横には、木曽一族郎党の位牌が安置されている。 |
墓所には、義仲と母の小枝御前・幼少期よりともに育ち、ともに戦った巴御前・樋口兼光・今井兼平の墓が建てられている。 |
粟津の戦い:木曽義仲と今井兼高の最期 |
義仲の二十四代の孫木曽義陳の発願により、1723年(享保8年)に建立されたもの。 |
長野県木曽郡木曽町日義124 JR中央本線宮ノ越駅下車徒歩10分 |
長野県木曽郡木曽町日義290−1 JR中央本線宮ノ越駅下車徒歩5分 |
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