石清水八幡宮で元服した木曽義仲〜平家物語〜 |
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『平家物語』によると・・・ 木曽義仲は2歳の時に父の源義賢が源義平に討たれて滅亡。 母の小枝御前(さえごぜん)は、幼い義仲を抱いて信濃国へ。 そして、中原兼遠に義仲を育ててくれるよう頼んだのだという。 兼遠に育てられた義仲は、先祖の源頼光や源義家に勝るとも劣らない武将に成長し、13歳で元服。 兼遠に連れられて源氏の氏神である京都の石清水八幡宮に参った義仲は、 「我が四代の祖父義家朝臣は御神の前で元服して八幡太郎と号した。 我もそのあとを追うべし」 と言って宝前で髪を結い上げて木曽次郎義仲となのったのだとか。 内裏にも参って平家の振舞いなどを見てきた義仲は、ある時、兼遠にこう話した。 「源頼朝は相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野を討ち従えて東海道から京へ攻め上ろうとしている。 我も東山道・北陸道を従えて、一日でも先に平家を滅ぼして、日本国に二人の将軍と仰がれたい」と。 兼遠は喜んで、 「私はそのためにあなたをお育てしてきたのです。 そのように仰せられるのは、やはり八幡殿の末裔なのかと・・・」 と話し、挙兵の準備に取り掛かったのだとか。 |
※ | 義仲の父義賢を討った義平は、源義朝の長男(頼朝の兄)。 |
石清水八幡宮は、平安京の裏鬼門の守護神。 源氏は氏神として信仰し、源頼義創建の壺井八幡宮や鶴岡八幡宮をはじめ、各地に石清水八幡宮が勧請されている。 義仲創建の旗挙八幡宮も石清水八幡宮が勧請されている。 |
長野県木曽郡木曽町日義290−1 JR中央本線宮ノ越駅下車徒歩5分 |
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