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旗挙八幡宮(はたあげはちまんぐう)は、木曽に館を構えた木曽義仲が京都の石清水八幡宮を勧請して祀った社と伝えられている。 神社周辺は義仲の館跡で、1180年(治承4年)の挙兵時にはここで戦勝を祈願したのだという。 |
誉田別尊(ほんだわけのみこと) 木曽義仲(きそよしなか) |
木曽義仲の市原合戦 |
木曽義仲は、1154年(久寿元年)、武蔵国比企郡の大蔵館(現在の埼玉県嵐山町)で誕生。 父は源義賢。 母は小枝御前(さえごぜん)。 幼名は駒王丸。 父の義賢は、1155年(久寿2年)8月16日、源義朝の長男・義平に大蔵館を攻められ最期を遂げた。 幼少の駒王丸は、信濃国の木曽谷へ逃れて中原兼遠のもとで育てられた。 1166年(仁安元年)、13歳のときに元服して木曽義仲を名乗る。 旗挙八幡宮は、木曽に館を構えた義仲が元服した年に創建されたのだという。 |
石清水八幡宮は源氏の氏神として信仰された社。 義仲は、石清水八幡宮を参拝して元服したのだという説も・・・ |
石清水八幡宮で元服した木曽義仲〜平家物語〜 |
源義賢の墓 (埼玉県嵐山町) |
義仲産湯井の清水 (埼玉県嵐山町) |
1982年(昭和57年)、木曽義仲公800年祭を記念して建立された。 |
御神木の大欅は、義仲の元服を祈って植えられたとも、1180年(治承4年)の挙兵の時に植えられたとも伝えられる古木。 かつて木曽には義仲七本欅と呼ばれる大欅があったが、現存するのはこの欅のみ。 大欅の傍らには、大欅の種子が発芽した二代目の欅が育っている(樹齢150年)。 |
長野県木曽郡木曽町日義2150 JR中央本線宮ノ越駅下車徒歩10分 |
長野県木曽郡木曽町日義290−1 JR中央本線宮ノ越駅下車徒歩5分 |
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