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鎌倉の寺院・神社に関する記述について,最も適当なものを 1 〜 4 から選びなさい。 |
(36) | 鎌倉において禅宗寺院が集中するのはどこか。 |
1 七里ヶ浜・腰越エリア 2 長谷・極楽寺エリア 3 材木座エリア 4 北鎌倉エリア |
鎌倉時代、北鎌倉は山内荘と呼ばれていました。 1180年(治承4年)、源頼朝が鎌倉入りした時は山内首藤経俊の所領でしたが、経俊が石橋山の戦いで頼朝に敵対したことから没収され、土肥実平に預けられます。 そして、1213年(建保元年)の和田合戦で地頭だった実平の孫惟平が和田義盛に味方したため、北条義時のものとなりました。 そのため、北条氏ゆかりの禅寺が建ち並びます。 |
(37) | 円覚寺の寺名は何に因んでつけられたか。 |
1 創建時の年号 2 起工の際に出土したお経 3 開基の名前 4 開基の父親の法号 |
円覚寺は、1282年(弘安5年)に八代執権北条時宗が創建した寺院。 起工の際に地中から「円覚経」を納めた石櫃が出てきたことから、予定していた寺名をとりやめて円覚寺としたといわれています。 |
(38) | 圓應寺の本尊である閻魔大王坐像を,笑いながら彫ったと伝えられる仏師はだれか。 |
1 定朝 3 快慶 |
2 成朝 4 運慶 |
圓應寺の閻魔大王像は、閻魔大王に生き返らせてもらった運慶が彫ったと伝えられています。 延命寺の阿弥陀如来像は、圓應寺の閻魔大王像を彫ったあまりの木で作られたのだとか。 |
圓應寺 |
閻魔大王像 |
圓應寺は、建長寺の塔頭で死後に出会う十王を安置する寺。 |
(39) | 壽福寺裏山の墓地にある供養塔は北条政子とだれのものと伝えられているか。 |
1 源実朝 3 北条義時 |
2 源頼朝 4 北条泰時 |
壽福寺裏山には、北条政子のものと伝えられる五輪塔と源実朝のものと伝えられる五輪塔があります。 |
北条政子の五輪塔 |
源実朝の五輪塔 |
壽福寺は、源頼朝の父義朝の旧跡に北条政子が創建した寺。 |
(40) | 神奈川県指定重要文化財である浄光明寺の地蔵菩薩立像は,足利直義との逸話から何と呼ばれるか。 |
1 斎田地蔵 2 身代わり地蔵 3 矢拾地蔵 4 月影地蔵 |
浄光明寺の地蔵菩薩立像は、合戦で矢が尽きてしまった足利直義に矢を拾い集めてきてくれたという伝説の地蔵尊。 |
浄光明寺は、足利尊氏が後醍醐天皇を裏切る覚悟を決めた寺といわれます。 |
建長寺の地蔵菩薩立像 〜伝説!済田地蔵〜 延命寺の裸地蔵 月影地蔵堂 |
(41) | 次のうち,覚園寺の境内にあるものはどれか。 |
1 | 若狭局を祀る蛇苦止堂 |
2 | 鎌倉最大の茅葺き屋根の薬師堂 |
3 | 瘡守稲荷を祀る稲荷堂 |
4 | 鎌倉最大最古の石造庚申塔 |
覚園寺は、二代執権北条義時の建てた大倉薬師堂を前身とする寺。 若狭局を祀る蛇苦止堂は妙本寺、瘡守稲荷は上行寺、鎌倉最大最古の石造庚申塔は山ノ内の八雲神社。 |
覚園寺の薬師堂には、薬師三尊と十二神将が安置されています。 |
(42) | 「ぼたもち寺」の呼び名で親しまれる常栄寺に伝わる話で,桟敷の嫗にゴマの餅を捧げられ,龍ノ口の法難で奇跡により処刑を免れた僧侶はだれか。 |
1 日朝 3 道元 |
2 日蓮 4 一遍 |
1271年(文永8年)9月12日、日蓮は、幕府や諸宗を批判したことで、平頼綱(北条時宗の執事)によって捕えられ、龍ノ口刑場へと護送されます(龍ノ口法難)。 常栄寺は、裸馬に乗せられて龍ノ口刑場へ護送される日蓮に、桟敷の尼が「胡麻入りのぼた餅」を捧げたという言い伝えから、「ぼたもち寺」と呼ばれています。 |
常栄寺 |
法源寺 |
ぼたもち寺と呼ばれる寺は鎌倉に2つ。 桟敷尼が住んでいた地にある常栄寺と桟敷尼の実家の菩提寺だという法源寺。 |
(43) | 源頼朝が材木座の来迎寺の地にもともとあった能蔵寺を建立した理由はどれか。 |
1 | 源義朝の供養のため |
2 | 三浦大介義明の菩提を弔うため |
3 | 妻の母の供養のため |
4 | 奥州合戦での戦死者の鎮魂と慰霊のため |
来迎寺は、源頼朝が伊豆国で挙兵した際、衣笠合戦で討死した三浦義明の菩提を弔うために建立した能蔵寺を始まりとします。 |
来迎寺 |
三浦義明墓 |
来迎寺の本堂横には義明の五輪塔が、本堂裏には三浦一族の墓があります。 |
(44) | 鎌倉大仏で知られる高徳院の境内奥にあるものは何か。 |
1 高浜虚子の句碑 2 吉野秀雄の歌碑 3 夏目漱石の句碑 4 与謝野晶子の歌碑 |
与謝野晶子は「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな」と詠みました。 高浜虚子の句碑は長谷寺、吉野秀雄の歌碑は瑞泉寺、夏目漱石の句碑は円覚寺塔頭の帰源院にあります。 |
鎌倉大仏 |
与謝野晶子 歌碑 |
与謝野晶子は釈迦牟尼と詠みましたが、鎌倉大仏は阿弥陀さま。 |
(45) | 光則寺の裏山には,開山の日朗が幽閉された土牢と「土牢御書」の石碑が今も残されているが、この「土牢御書」を書いたのはだれか。 |
1 日蓮 3 日範 |
2 日詔 4 日叡 |
光則寺の土牢は、1271年(文永8年)、日蓮が捕えられた際、ともに捕らえられた弟子の日朗が幽閉された所(龍ノ口法難)。 |
光則寺 |
日朗の土牢 |
光則寺は、日朗を監視する任に就いた宿谷光則の自邸跡。 |
(46) | 鶴岡八幡宮本宮の掲額の「八」の字は神聖な神の使いとされている動物の形を使って表されているが,この動物は何か。 |
1 ツル 3 ハト |
2 ヘビ 4 キツネ |
鶴岡八幡宮の上宮楼門に掲げられた額の「八」の字は、神聖な神の使いとされている二羽の鳩。 |
鶴岡八幡宮 |
石清水八幡宮 |
石清水八幡宮の一の鳥居の額は、一条天皇の勅により藤原行成が書いたものの写し。 鶴岡八幡宮の額も行成の字を写したものなのかもしれない。 |
(47) | 本殿は鎌倉最古の神社建築で,源頼朝が鎌倉幕府の鬼門の守護神として崇敬したとされる神社はどこか。 |
1 荏柄天神社 2 北野神社 3 鶴岡八幡宮 4 佐助稲荷神社 |
源頼朝が鎌倉幕府(御所)の鬼門の守護神としたのは荏柄天神社。 |
荏柄天神社 |
本殿 |
荏柄天神社の本殿は、鎌倉の建築物の中で唯一鎌倉時代に建造されたもの(国重文) |
(48) | 鎌倉宮の祭神護良親王が「大塔宮」と呼ばれるようになったのはなぜか。 |
1 | 大塔という場所に居を構えていたから。 |
2 | 父である後醍醐天皇から名付けられたから。 |
3 | 若いころ比叡山延暦寺の大塔に入室していたから。 |
4 | 大塔という場所で亡くなったから。 |
護良親王は、後醍醐天皇の第三皇子。 親王が「大塔宮」(おおとうのみや)と呼ばれていたことから鎌倉宮も「大塔宮」と呼ばれることがあります。 「大塔宮と呼ばれる理由」の問題は、過去に何度も出題されています。 3が正解のようですが・・・ 延暦寺の大塔って何でしょう??? |
鎌倉宮 |
延暦寺 |
鎌倉宮は護良親王を祀るために明治天皇が創建した社。 護良親王は2度天台座主(延暦寺の貫主)となっています。 比叡山延暦寺の大塔とは、東塔のことを言っているのかもしれませんが・・・ |
三千院 |
法勝寺 |
護良親王が入室したのは、梶井門跡(現在の三千院)。 梶井門跡は、鎌倉時代末頃には京都の洛中や東山を点々としていたようです。 護良親王は「東山岡崎にあった法勝寺の九重塔(大塔)周辺に門室を置いたとみられる」という説があります。 法勝寺辺りには梶井門跡の子房「大塔」があったのだといいます。 とすると1も正解なのかも。 |
大塔宮と呼ばれた護良親王〜なぜ大塔宮なのか?〜 |
(49) | 大町の八雲神社は京都からどの神社の祭神を勧請したのが始まりとされるか。 |
1 稲荷社 3 祇園社 |
2 諏訪社 4 金比羅社 |
八雲という社名は、祭神の須佐之男命が詠んだ最古の和歌「「八雲立つ 出雲八重垣妻籠に 八重垣作る その八重垣を」に因むもの。 須佐之男命を祀る社と言えば京都の祇園八坂社(現在の八坂神社)。 |
八雲神社 |
八坂神社 (京都) |
京都の八坂神社は牛頭天王を祭神としていたことから、「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていました。 八雲神社も「祇園さま」として尊崇された社。 京都三大祭の一つ祇園祭は八坂神社の祭礼。 八雲神社の祭礼「大町まつり」も祇園信仰の祭。 |
(50) | 源頼朝が畠山重忠に命じて「かくれ里」で見つけた祠に社を建てさせたと伝えられる神社はどこか。 |
1 佐助稲荷神社 2 銭洗弁財天宇賀福神社 3 十二所神社 4 蛭子神社 |
源頼朝がまだ伊豆蛭ヶ小島に配流中の身であったころ、「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、頼朝に挙兵を勧めたのだとか。 |
鎌倉に武家の都を築いた源頼朝は、「かくれ里」と呼ばれるこの地に祠を見つけ、畠山重忠に命じて社殿を建立させのだといいます。 それが佐助稲荷神社。 |
(51) | 後醍醐天皇に仕え倒幕を企て葛原ヶ岡で処刑された公家で,明治時代に建立された葛原岡神社の祭神として祀られた人物はだれか。 |
1 日野資朝 3 源具行 |
2 日野俊基 4 児島高徳 |
葛原岡神社は、後醍醐天皇に仕えた朝臣日野俊基終焉の地。 |
葛原岡神社 |
日野俊基の墓 |
葛原岡神社は、明治天皇が忠臣顕彰のために創建した社。 境内の日野俊基の墓は国指定史跡。 葛原岡神社の例大祭は俊基の命日に行われます。 |
(52) | 鎌倉最古の神社とされ,伊勢神宮の別宮である甘縄神明神社の祭神はだれか。 |
1 日本武尊 3 天照大神 |
2 神功皇后 4 須佐男命 |
甘縄神明神社は、皇祖神とされる天照大神を祀る伊勢神宮の別宮。 |
甘縄神明神社 |
染屋時忠邸跡 |
甘縄神明神社は鎌倉最古の神社といわれ、710年(和銅3年)の創建。 創健者といわれる染屋時忠は、藤原鎌足の子孫で、東大寺を開いた良弁の父ともいわれます。 |
(53) | 白山神社が建立されるきっかけとなった,源頼朝が鞍馬寺に詣でたときに賜ったとされる行基作と伝えられる像は何か。 |
1 福禄寿 3 弁財天 |
2 毘沙門天 4 大黒天 |
1190年(建久元年)、上洛を果たした源頼朝は、鞍馬寺を訪れた際に、行基作と伝わる毘沙門天像二体のうちの一体を賜ったのだとか。 |
白山神社 |
鞍馬寺 |
白山神社は、源頼朝が毘沙門天像を安置するために建立した毘沙門堂を始まりとするといわれています。 鞍馬寺は源義経が幼少期を過ごした寺。 国宝の毘沙門天像や義経ゆかりの品々が残されています。 |
(54) | 江島神社と関係が深く,絵巻物『江島縁起』に記されている五頭龍を祀っている寺社はどこか。 |
1 勧行寺 3 小動神社 |
2 本龍寺 4 龍口明神社 |
龍口明神社は、江ノ島弁財天の霊感に降伏した五頭龍を祀ったのが始まり。 もとは龍口寺の横にあった神社です。 |
龍口明神社 |
江の島縁起 |
江の島縁起は、江の島の成り立ちと歴史を天女と五頭龍の伝説で表した絵巻物語。 夏のイベント・江の島灯籠では「天女と五頭龍」の灯籠も設置されます。 |
(55) | 石段の岩肌にある大天狗2体,烏天狗10体の像が印象的な建長寺の鎮守は何か。 |
1 愛宕権現 2 越知大権現 3 半僧坊大権現 4 秋葉権現 |
半僧坊大権現は、1890年(明治23年)に勧請された建長寺の鎮守。 半僧坊大権現は天狗の姿。 |
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