|
荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)は、源頼朝が鎌倉に入るより前からある古い神社で、1104年(長治元年)の創建と伝わる。 荏柄山天満宮とも称され、鎌倉幕府の鬼門の守護神。 京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに日本三天神の一つに数えられている(三大天神については諸説あり。)。 1590年(天正18年)、小田原北条氏を攻め、関東を統一した豊臣秀吉も参拝し、徳川家康に命じて社殿の造営を命じたという。 本殿は、鶴岡八幡宮造営の余った木材で修理を繰り返し、鎌倉最古の木造建築として残されている(国重文)。 |
菅原道真 八雲大神(須佐男尊) |
『相模國鎌倉荏柄山天満宮略縁起』によると・・・ 1104年(長治元年)8月25日、荏草郷といわれた土地に、にわかにかき曇った天から天神画像が降ってきた。 神験を恐れた里の人々は、その場所に社殿を建て、画像の降り立った地を踏むことのないように銀杏の木を植えて御神木としたのだという。 今も境内にそびえる大銀杏は、鶴岡八幡宮の大銀杏に次ぐ大きさ。 「木造天神坐像」、「木造天神立像」は、憤怒の表情をしていることから「怒り天神」と呼ばれている(鎌倉国宝館に寄託)。 |
※ | 残念なことですが、鶴岡八幡宮の大銀杏は、平成22年3月10日未明に倒れてしまいました(参考:鶴岡八幡宮の大銀杏)。 |
「包丁正宗」は、相模国独特の作風「相州伝」を完成させた五郎入道正宗が鍛えたという刀。 松平定信の『集古十種』にも収録されている名刀。 |
伝説:歌ノ橋 |
魔の淵の地蔵 |
歌ノ橋は荏柄天神社に和歌を奉納して罪を許されたという渋川兼守が架けた橋。 魔の淵の地蔵は、「魔の淵」と呼ばれていた川に置かれた地蔵尊。 |
和田胤長邸跡 |
関取場 |
荏柄天神社の前には和田義盛の甥・胤長邸があった。 関取場は、北条氏康が荏柄天神社の修復費用に充てるため、通行税をとった所。 |
菅原道真は無実の罪で大宰府に左遷され、同地で没した。 その後、都で起きた天変地異が道真の祟りと恐れられ、神として祀るため北野天満宮が創建される。 そのため、天神は「冤罪から救う神」として信仰されるようになる。 渋川兼守は謀反の罪により捕えられ、悲しみのあまり和歌十首を荏柄天神社に奉納し、それを源実朝が見たことで無罪となった(和田合戦)。 子の冷泉為相の正当性を訴えるため鎌倉に下向した阿仏尼は、百首の和歌を奉納して勝訴している。 |
一条天皇は勅使を派遣して菅原道真を祀る社に「北野天満宮天神」の神号を与えた。 |
ある時、源頼朝の夢に牛に乗った菅原道真が現れて「汝に2つの吉事あり」と告げた。 お告げの通りになったことに感謝した頼朝は牛天神北野神社を建立したのだとか。 |
鎌倉市二階堂74 0467−25−1772 鎌倉駅から「大塔宮」行バス「天神前」下車 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|