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「包丁正宗」は、「相州伝」といわれる相模国独特の作風を完成させた五郎入道正宗の作といわれ、荏柄天神社に伝来した名刀。 『新編鎌倉志』には・・・ 壹腰。 正宗ガ作ト云。 無銘。 長サ一尺三寸五分。 廣サ三寸五分。 今ノ世ニ小刀(ちひさがたな)ト云製也。 指表(さしをもて)ニ梅。 裏(うら)ニ天蓋不動ノ梵字。 倶利伽羅(くりから)ヲ彫ル。 大進坊ガ彫物也。 鞘(さや)ハ黒塗(くろぬり)也梅ノ蒔繪(まきえ)有リ。 と紹介されている。 現在は靖国神社遊就館の所蔵。 |
「包丁正宗」は、江戸時代に寛政の改革を行ったことで知られる松平定信が編纂した『集古十種』にも収録されている。 |
荏柄天神社で授与されている「刀守り」。 |
刃稲荷 (扇ガ谷) |
正宗の墓 (本覚寺) |
刃稲荷は、正宗の屋敷に祀られていたという稲荷社。 正宗という名は、日蓮につけてもらったといわれ、本覚寺には正宗の墓がある。 本覚寺には、松平定信の「東身延」の額が伝えられている |
正宗の子孫は北条氏綱から無量寺ヶ谷に土地を与えられ、そこを屋敷とした。 葛原岡神社にある合鎚稲荷社は、その屋敷跡に建てられていた社。 |
正宗の技術は、「正宗工芸」として引き継がれ、鎌倉を代表する産業となっている。 |
荏柄天神社は、源頼朝も大倉幕府の鬼門の守護神として尊崇した神社。 京都の「北野天満宮」、福岡の「太宰府天満宮」とともに日本三天神の一つに数えられている。 |
鎌倉市二階堂74 0467−25−1772 鎌倉駅から「大塔宮」行バス「天神前」下車 |
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