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鎌倉歴史文化交流館は、無量寺ヶ谷に建てられた鎌倉の歴史・文化を紹介するとともに、教育普及事業や交流事業を開催するための施設。 2017年(平成29年)5月15日に開館。 当初は、世界遺産ガイダンス施設として整備されていた。 建築家ノーマン・フォスター氏が代表を務めるフォスター・アンド・パートナーズの設計。 |
開館時間 | 10:00〜16:00 |
入館料 | 一般300円 小中学生100円 |
休館 | 日曜・祝日 |
「鎌倉武士の鑑」と呼ばれた畠山重忠が武蔵御嶽神社に奉納した大鎧(国宝)の模造。 1191年(建久2年)に奉納されたものと伝えられ、平安時代後期の作と考えられている。 |
2002年(平成14年)の発掘調査で建物礎石や1293年(永仁元年)の大地震後に造営されたと考えられる庭園遺跡が発見された。 無量寺跡と呼ばれているが、建てられていた寺院が無量寺という名の寺院だったかどうかは不明。 夢窓疎石作庭という瑞泉寺の庭園は、この庭園を参考に造営されたのだという説もある。 |
横須賀市長坂にある無量寺は、和田義盛開創とされる寺院。 無量ヶ寺谷にあった無量寺の名跡を継いでいるのだという。 |
〜安達義景の十三回忌〜 |
『吾妻鏡』によれば、1265年(文永2年)、無量寿院で安達義景の十三回忌供養が行われている。 無量寿院は義景邸内に建てられた寺院で、1285年(弘安8年)、義景の子泰盛と一族が滅ぼされた霜月騒動で焼失したのだと伝えられている。 |
〜『新編鎌倉志』に記された無量寺〜 |
徳川光圀の『新編鎌倉志』には・・・ 「無量寺谷は興禅寺の西方の谷で、昔、無量寺という泉涌寺末の寺があった」ことが記されている。 そして、『吾妻鏡』の安達義景の十三回忌に触れ、 「義景は盛長の子で居宅は甘縄。この辺まで甘縄の内であるので、『吾妻鏡』の無量壽院は、後に無量寺と呼ばれたか?」 という内容が記されている。 しかし・・・ 『吾妻鏡』の無量寿院と『新編鎌倉志』の無量寺が同じか否かは定かではなく、義景邸が無量寺ヶ谷にあったかどうかも不明。 |
安達氏は源頼朝の時代からの有力御家人。 鎌倉の甘縄に邸宅を構えていた。 |
無量ヶ谷は、名刀正宗で知られる正宗工芸の刀工・綱廣の屋敷があった所ともいわれ、綱廣谷とも呼ばれている。 合鎚稲荷社は刀工・綱廣の屋敷に建てられていたという社。 現在は、葛原岡神社に移されている。 綱廣は、鎌倉時代の刀匠正宗(五郎入道正宗)の子孫。 北条氏綱より無量寺ヶ谷の土地を与えられ、氏綱の一字をもらって代々綱廣を名乗った。 今もその技術は正宗工芸として継承されている。 |
天平五年銘木簡 |
新編鎌倉志 |
鎌倉市扇ガ谷1−5−1 0467−73−8501 鎌倉駅より徒歩7分 |
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