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歌 ノ 橋
〜鎌倉十橋〜

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鎌倉十橋:歌ノ橋


 歌ノ橋は、金沢街道の二階堂川に架かる橋で鎌倉十橋の一つ。

 1213年(建暦3年)2月、二代将軍源頼家の遺児千寿丸を将軍に据えようとする企てが露見。

 謀反に加担として捕まった者の中に渋川刑部六郎兼守という者がいた。

 処刑が決まった兼守は、無実の罪を晴らすために十首の和歌を荏柄天神社に奉納。

 その和歌がどのようなものであったかは伝わっていないが、和歌を手にとってみた将軍源実朝が感動して無罪放免に。

 感謝した兼守が、その御礼として二階堂川に架けたのが「歌ノ橋」だったのだと伝えられている。 



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 『吾妻鏡』によれば、1213年(建暦3年)2月16日、二代将軍源頼家の遺児千寿丸を将軍に据え、北条義時を討つという信濃国住人の泉親衡の謀反が露見した。

 渋川刑部六郎兼守は謀反に加担したとして捕らえられ、安達景盛に預けられた。

 そして、2月25日には、翌朝の処刑が命じられている。

 翌2月26日朝、前夜から荏柄天神社に籠もっていた工藤祐高は、処刑が決まって悲しんだ兼守が荏柄天神社に捧げた十種の和歌を見つけた。

 それを御所に持ち帰ると、源実朝は、その出来ばえに感激して、兼守の罪を許したのだという。



鎌倉十橋:歌ノ橋


 渋川兼守は上野国渋河荘の武将で、比企能員の変で討死にした渋川兼忠の子といわれるが、詳細は不明。

 泉親衡の謀反では、和田義盛の子の義直、義重、甥の胤長も捕えられ、このことが5月に起こる和田合戦へと繋がっていく。



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荏柄天神社
リンクボタン荏柄天神社

 荏柄天神社は、源頼朝も大倉幕府の鬼門の守護神として尊崇した神社。

 京都の「北野天満宮」、福岡の「太宰府天満宮」とともに日本三天神の一つに数えられている。









鎌倉十橋:歌ノ橋
歌ノ橋

 歌ノ橋は、夷堂橋とともに「かながわの橋100選」に選ばれている。


鎌倉市二階堂・金沢街道沿い

鎌倉駅から徒歩20分

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