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浄光明寺の裏山に置かれている安山岩製の宝篋印塔は、冷泉為相のもので、徳川光圀が建てたものと伝えられている。 ただし、その様式とからすると南北朝時代の造立と考えられるという。 冷泉為相は、平安時代に栄華を誇った藤原道長の子孫。 『十六夜日記』で知られる阿仏尼の息子で、源実朝の和歌の師で『新古今和歌集』の撰者として知られる藤原定家の孫。 為相と異母兄の相続争いで、為相の正当性を訴えるために鎌倉を訪れていた母阿仏尼のあとを慕って鎌倉に下ったとされる。 |
山門前に建てられている石碑には「藤谷黄門遺跡」と刻まれている。 鎌倉へ下った冷泉為相は、藤ヶ谷に住まいし、多くの歌を詠み、「藤谷和歌集」を編んだ。 そのため、「藤谷殿」又は「藤谷黄門」と呼ばれていたという。 黄門とは中納言の唐名。 為相は正二位権中納言。 1328年(嘉暦3年)、鎌倉で没したという。 |
阿仏尼邸跡 (極楽寺) |
阿仏尼墓 (扇ヶ谷) |
為相の正当性を訴えるため鎌倉に下向した阿仏尼は、三嶋大社・箱根神社・伊豆山神社・鶴岡八幡宮・佐助稲荷神社・荏柄天神社などに和歌を奉納して必勝を祈願したらしい |
徳川光圀が編纂させた『新編鎌倉志』によると・・・ 十二所の光触寺に残されている『頬焼阿弥陀縁起』の作者は、藤原為相とされている。 |
浄光明寺は、1251年(建長3年)、北条長時(のちの六代執権)によって再興された真言宗の寺。 足利尊氏・直義兄弟にゆかりのある寺でもある。 |
鎌倉市扇ガ谷2−12−1 0467(22)1359 鎌倉駅西口から徒歩15分 |
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