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半僧坊大権現は、建長寺の鎮守。 建長寺裏山の中腹にある。 後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」(むもんげんせんぜんじ)が開いた静岡県浜松市にある方広寺が半僧坊の本元。 禅師につき従っていた男が、薪採りや水汲み、食事の仕度をしていたので、「飯僧」と呼ばれ、のちに「半僧坊」と呼ばれるようになったのだという。 この男は、禅師が中国での修行を終えて帰国する途中で嵐に遭った際に禅師を助けたといわれている。 |
建長寺に半僧坊権現が勧請されたのは1890年(明治23年)のこと。 半僧坊信仰が全国に広まったのは明治時代で、方広寺の山火事の際、円明大師(無文元選禅師)の墓と方広寺の鎮守「半僧坊」が類焼を免れたことから、半僧坊の威徳によるものという評判が広まった。 |
半僧坊大権現は天狗の姿。 参道石段には大小12体の鉄製の天狗像が置かれている。 戦時中、天狗像は供出されてしまったが、復興された。 |
半僧坊大権現の縁日は17日。 |
半僧坊正面の見晴台からは相模湾まで見渡せ、左手の富士見台からは富士山を臨むことができる。 |
半僧坊参道には、茶店が軒を並べている時代もあり、様々な講中の旗が掲げられ大変賑わっていたという。 作家葛西善蔵と浅見ハナの物語でも知られる「招寿軒」もその一つ。 善蔵が建長寺の塔頭宝珠院に住まいしたときに、世話をしてくれたのが「招寿軒」の娘ハナだった。 善蔵の小説『おせい』に描かれている。 「招寿軒」近くの回春院墓地には葛西善蔵の墓がある。 |
2010年(平成22年)、中国少林寺より信託された禅宗開祖達磨大師坐像。 当初は法堂前に置かれていたが、現在は半僧坊大権現の参道に置かれている。 |
半僧坊大権現は天園ハイキングコースの入口。 |
建長寺は、五代執権北条時頼が宋の蘭渓道隆を招いて開いた日本で初めての「禅専門道場」。 臨済宗建長寺派大本山。 鎌倉五山の第一位。 |
鎌倉市山ノ内8 0467(22)0981 JR北鎌倉駅から徒歩15分 |
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