鎌倉手帳(寺社散策)

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上 行 寺
=水戸浪士ゆかりの寺=

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上行寺


 上行寺(日蓮宗)は、1313年(正和2年)、日蓮の弟子の日範の創建。

 本堂は、1886年(明治19年)に妙法寺の法華堂を移築したもので、格天井の絵は、細川氏の絵師によるもの。

 本堂表欄間には「龍の彫り物」が施されており、山門には左甚五郎作とされる「龍の彫刻」も見られる。 


開山 日範
本尊 三宝祖師



表欄間の彫刻
表欄間の彫刻


リンクボタン御経窟(妙法経窟)
三浦市
(開山日範ゆかりの岩窟)


リンクボタン鎌倉の日蓮宗の寺









山門の龍
山門の彫刻
(左甚五郎作)





広木松之助
贈正五位広木松之助之墓


 広木松之介は、1860年(安政7年)3月3日、江戸城桜田門外で彦根藩の行列を襲撃して大老井伊直弼を暗殺した水戸浪士の一人(桜田門外の変)。

 襲撃後、京都へ向かうが幕府の警戒が厳しく、いったん水戸へ帰郷。

 再び京都へ出発するが、能登国より先へ行くことは叶わなわず、本住寺に潜伏した後、越後国・越中国を転々としていたが、越後国で水戸藩を出奔して隠れ住んでいた後藤哲之介と出会い、逃亡のための旅費を工面してもらう。

 鎌倉に落ち延びてきた広木は、材木座の源七という魚仲買人の家に身を寄せるが、人の出入りが多い家で安全ではないことから、源七が上行寺の住職に相談し、寺で匿ってもらうことになったのだという。

 しかし、襲撃した同志のほとんどが刑死したことを知った広木は、1862年(文久2年)3月3日、上行寺で切腹。

 広木を逃した後藤哲之介は、広木が切腹する前年に捕えられ、「広木松之介である」と供述したたまま、江戸伝馬町の監獄に繋がれ、1862年(文久2年)9月13日、断食して亡くなったのだという。

 1902年(明治35年)、広木は維新の功を認められて正五位を贈られている。



江戸城桜田門
リンクボタン江戸城桜田門





〜鬼子母神と瘡守稲荷〜

鬼子母神


 本堂右手の堂には、身がわり鬼子母神と癌封じの瘡守稲荷が祀られている。

 北条政子は、源頼朝の「おでき」を治すため、この瘡守稲荷に参拝したのだという。



リンクボタン鎌倉厄除けの御利益









上行寺
上行寺

鎌倉市大町2−8−17
0467(22)5381

鎌倉駅東口より徒歩12分



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