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寺院・神社に関する記述について、最も適当なものを1〜4から選びなさい。 |
○もと武士で、誤って人妻を殺した罪を悔いて出家し、その後、伊豆で源頼朝に挙兵を勧めた僧が開山と伝えられる寺はどこか。 |
1 明王院 3 覚園寺 |
2 補陀洛寺 4 浄光明寺 |
明王院は鶴岡八幡宮別当だった定豪、覚園寺は智海心慧、浄光明寺は真阿の開山です。 補陀洛寺を開いた文覚は、神護寺再興のための強訴をして伊豆国へ流され、そこで源頼朝と出会って、平家打倒の挙兵を勧めたのだと伝えられているようです。 |
補陀洛寺 |
文覚荒行像 (成就院) |
○鎌倉にも七福神があるが、七福神巡りがお正月の行事として一般化したのはいつか。 |
1 鎌倉時代 3 江戸時代 |
2 室町時代 4 明治時代 |
七福神信仰は室町時代後期ごろから庶民の間で広まったと言われていますが、一般化したのは江戸時代なのでしょうか・・・。 |
鎌倉・江の島 七福神 |
都七福神めぐり |
○鎌倉七福神のうち、福禄寿があるのはどこの寺社か。 |
1 長谷寺 3 御霊神社 (坂ノ下) |
2 浄智寺 4 妙隆寺 |
長谷寺には大黒天、浄智寺には布袋尊、妙隆寺には寿老人が祀られています。 御霊神社の福禄寿は、面掛行列の八番面の福禄にちなむもの。 |
○2008年(平成20)2月に必勝祈願のために、光明寺を参拝したスポーツ選手はだれか。 |
1 福原愛 3 杉山愛 |
2 宮里藍 4 浅田真央 |
2月24日から3月2日、中国・広州で開かれ、男女ともに銅メダルを獲得した「世界卓球2008」の日本代表選手団が、大会直前の2月20日、必勝祈願のため、神奈川県鎌倉市の大本山光明寺(宮林昭彦法主)を訪れた。同市貞宗寺の山口宇宙住職が選手団長をつとめていることから実現した訪問。福原愛選手(写真)ら代表選手は宮林台下から灌頂洒水を受け、また、茶席で歓談をするなど大会前のひと時を過ごした(浄土新聞より。)。 |
○観音は三十三に化身して人々を救うという観音信仰をもとに、観音菩薩を安置する三十三の霊場巡りが作られたとされる。鎌倉にも三十三観音霊場が定められているが、「仏の母」と称されることから、安産、子授けの功徳があるとされている准胝観音が安置されているのはどこか。 |
1 宝戒寺 3 安養院 |
2 大巧寺 4 高徳院 |
大巧寺は33か所に含まれていません。 安養院には源頼朝と政子を結んだ縁結び千手観音、高徳院の観月堂には、徳川秀忠寄進の聖観音が安置されています。 准胝観音も珍しいですが別願寺の魚籃観音も珍しい観音さまです。 |
○鎌倉にも十三仏を別々の寺院に祀る集合霊場として十三仏霊場が1983年(昭和58)に定められているが、知慧の光をもって一切を照らして人々を救済する菩薩とされる勢至菩薩を祀っているのはどこか。 |
1 明王院 3 成就院 |
2 圓應寺 4 浄光明寺 |
明王院は不動明王、圓應寺は地蔵菩薩、成就院は虚空蔵菩薩を祀っています。 |
○ある戦のとき、足利直義が矢を射尽くしてしまい困っているところに地蔵が子どもの僧に姿を変えて、矢を拾い集めて直義に差し出したという言い伝えから名が付いた矢拾地蔵があるのはどこか。 |
1 浄智寺 3 浄光明寺 |
2 建長寺 4 海蔵寺 |
足利直義は、室町幕府を開いた足利尊氏の弟。兄弟がお世話になった寺といえば浄光明寺 |
○斎田地蔵は、斎田左衛門金吾という人が無実の罪で斬首されようとしたときに、普段から髪の中に納めていた地蔵が身代わりになって救われたという言い伝えに由来する。この地蔵がもともとあったのはどこか。 |
1 太平寺 3 報恩寺 |
2 心平寺 4 高松寺 |
斎田地蔵の伝説が残されているのは建長寺。 建長寺のある場所にあったのは心平寺。 太平寺、報恩寺、高松寺は西御門の来迎寺の近くにありました。 |
○明月院について、次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。 |
1 | 長谷寺や成就院とともにアジサイ寺として親しまれている。 |
2 | 宗猷堂のそばには鎌倉十井の一つである「瓶ノ井」がある。 |
3 | 宗猷堂の横に、鎌倉市内で現存する最大のやぐらがあり、その中には上杉憲房の墓といわれる宝篋院塔がある。 |
4 | 北条時頼の廟所があり、その左奥には時頼の墓といわれる宝篋印塔がある。 |
鎌倉最大の明月院やぐらの中にある宝篋院塔は、憲房ではなく憲方のものといわれています。憲方の墓は極楽寺切通の上にもあります。 |
○建長寺について、次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。 |
1 | 開山の蘭渓道隆が千人をこえる修行僧を指導するのに使った、自筆の指導書「法語規則」が国宝として残っている。 |
2 | 山号の巨福山の総門の額の「巨」の字に書き加えられた一点は、その重みが強調され百貫点と呼ばれた。 |
3 | 現存する建物は、江戸時代に天海僧正などの進言によって、再建、復興されたものである。 |
4 | 「けんちん汁」という名称は、この寺の名に由来するといわれる。 |
再建の進言は、天海僧正ではなく沢庵宗彭。 「けんちん汁」が建長寺に由来するといわれているのと同じように、沢庵漬けは沢庵宗彭の考案と伝えられています。 |
☆寺院・神社について関連のあることがらの組み合わせとして誤っているものを1〜4から選びなさい。 |
○寺社とその通称 |
1 妙典寺・腰越の谷戸寺 2 八雲神社(大町)・お天王さん 3 杉本寺・下馬観音 4 八坂大神・佐竹天王 |
八坂大神は、相馬次郎師常ゆかりの神社なので、相馬天王と呼ばれています。 |
妙典寺 |
八雲神社 |
杉本寺 |
八坂大神 |
○寺社とそのゆかりの碑・墓・塚 |
1 龍寳寺・柳沢吉保の碑 2 建長寺西来庵・無学祖元の墓 3 白山神社・酔亀亭天広丸の歌碑 4 仏行寺・源太塚 |
龍寳寺にある碑は柳沢吉保ではなく新井白石。植木は、新井白石の知行地になったこともあります。 |
新井白石碑 |
西来庵 |
白山神社 |
源太塚 |
☆寺院・神社について、次の説明文の[ ]に最も適当なものを1〜4から選びなさい。 |
鶴岡八幡宮は、源頼義が[ (1) ]の後、その勝利を神に感謝し、源氏一族の繁栄を祈願するために、京都の石清水八幡宮を源氏の守り神として由比の郷に勧請したのがその起源であるという。 その後、火災などにより数度焼失したが、時の権力者の庇護のもと、その都度再建された。現在の本宮を造営したのは[ (2) ]である。 また、本宮に昇る石段の左手にある大イチョウは[ (3) ]指定の天然記念物となっている。国宝としては、源頼朝が[ (4) ]から下賜されたといわれる籬菊螺鈿蒔絵硯箱などが納められている。 |
(1) |
1 承平・天慶の乱 2 保元の乱 3 前九年の役 4 後三年の役 |
承平・天慶の乱は平将門と藤原純友の反乱。保元の乱は崇徳上皇と後白河天皇の対立。後三年の役は源頼義の子義家が主役。 |
由比若宮 |
石清水八幡宮 |
(2) | |
1 徳川秀忠 3 徳川吉宗 |
2 徳川家綱 4 徳川家斉 |
秀忠は若宮を再建、家綱は鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)を寄進、吉宗は国宝「太刀 銘 正恒」を奉納したと伝えられています。 |
(3) | |
1 国 3 鎌倉市 |
2 神奈川県 4 環境省 |
大イチョウは、鎌倉で唯一の神奈川県指定天然記念物です。 (残念なことですが、鶴岡八幡宮の大銀杏は、平成22年3月10日未明に倒れてしまいました。同年6月には天然記念物の指定が解除されています。) |
(4) | |
1 鳥羽法皇 3 崇徳天皇 |
2 後白河法皇 4 近衛天皇 |
☆寺院・神社について、次の説明文の[ ]に最も適当なものを1〜4から選びなさい。 |
覚園寺の前身の大倉薬師堂を建立した[ (1) ]は、建立の翌年、源実朝が右大臣就任の拝賀の儀式の折、薬師堂の十二神将のうちの一体である[ (2) ]神将が(昨年見た夢と同じように)将軍のそばに現れたのを見て、急に気分が悪くなり早々に退出して、難を免れたという。 薬師堂の天井の棟札には、1354年(文和3・正平9)、薬師堂を修理したとき、[ (3) ]が書いたと伝えられる「天皇のもとで世の中は治まり、・・・・仏法はますますきわまりなく、人々は仏と法と僧の三宝を敬い、国内は平和で日々を楽しむことを願う」という意味の文字が記されている。 覚園寺の地蔵には、[ (4) ]と呼ばれる鎌倉時代につくられた地蔵菩薩像がある。この地蔵は慈悲深く、地獄を回った罪人が責められているのを見て、これをあわれみ、自ら地獄の番人に代わって火を焚き、火炎をわが身に浴び、罪人たちの苦しみを少しでも軽くしようと努めたという。 |
(1) | |
1 北条貞時 3 北条泰時 |
2 北条義時 4 北条時頼 |
覚園寺を寺としたのは北条貞時ですが、その前身となる薬師堂を建てたのは北条義時です。 |
(2) | |
1 巳(蛇) 3 申(猿) |
2 酉(鶏) 4 戌(犬) |
(3) | |
1 足利尊氏 3 足利義満 |
2 後醍醐天皇 4 護良親王 |
(4) |
1 身代わり地蔵 2 頬焼地蔵 3 黒地蔵 4 どこも(苦)地蔵 |
身代わり地蔵は、延命寺の北条時頼夫人の身代わりになった身代わり地蔵(裸地蔵)が知られています。 光触寺の頬焼は、地蔵さまではなく阿弥陀さま。 どこもく地蔵は瑞泉寺にいます。 |
覚園寺 |
黒地蔵縁日 |
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