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八坂大神(やさかおおかみ)は、牛頭天王が祀られていたことから「相馬天王」と称された扇ヶ谷の鎮守。 相馬次郎師常が自邸(巽荒神脇)の守り神として勧請したのが始まりとされる。 のちに浄光明寺の裏山(網引地蔵の西)に遷され、さらに壽福寺の本堂脇を経て現在の地に遷された。 明治の神仏分離により八坂大神に改称(1869年(明治2年))。 観光客に人気の銭洗弁財天宇賀福神社は、1970年(昭和45年)まで八坂大神の末社だった。 |
素戔雄尊(すさのおのみこと) 桓武天皇(かんむてんのう) 葛原親王(くずはらしんのう) 高望王(たかもちおう) |
祇園信仰の神社では、現在主祭神として祀られている素戔嗚尊が仏教の守護神・牛頭天王と同一視されて祀られていたが、明治の神仏分離によって、仏教の神である「牛頭天王」は除かれた。 |
八坂大神の例祭は7月12日。 神輿は、京都の祇園八坂神社の神輿を範とした六角形という独特のもの。 |
相馬天王(八坂大神)の神輿は鉄でできていて、祭りのときには血をみないではすまない神輿だった。 そこで、この神輿を師常の墓近くに埋め、新たに木の神輿を造ったのだという。 |
八坂大神文書(やさかおおかみもんじょ)は、江戸時代から昭和にかけての古文書群 。 最も古い史料を含む「天王当番帳」には、1681年(天和元年)から1943年(昭和18年)までの263年間におよぶ祭礼当番が連綿と書き継がれているのだという。 また、1848年(弘化5)の「若者取締議定帳」などでは、祭礼の実行に欠かせない若者仲間についての取り決めを定めており、江戸時代の若者仲間から、青年会を経て青年団へと改編されていく過程をみることができる。 2020年(令和2年)、鎌倉市の文化財に指定。 |
徒歩5分ほどの所に八坂大神を創建した相馬師常の墓がある。 師常は、源頼朝の鎌倉入りを進言した千葉常胤の子で、奥州征伐で武勲をあげた武将。 |
鎌倉市扇ガ谷1−13−45 鎌倉駅西口より徒歩10分 |
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