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補陀洛寺(真言宗大覚寺派)は、1181年(養和元年)、源頼朝の祈願所として建立された。 たびたび竜巻に襲われたため、別名「竜巻寺」と呼ばれている。 補陀洛(ふだらく)とは、サンスクリット語の音を漢字に当てはめたもので、「観音菩薩が住む山」という意味。 薬師如来が本尊だった時代もあったというが、文和年間、鶴岡八幡宮の供僧頼基が十一面観音を本尊として再興したと伝えられている。 本堂内には、源頼朝像(自作)、文覚上人裸形像(自作)、行基作と伝わる薬師如来像、運慶作と伝わる日光・月光菩薩像、弘法大師作と伝わる地蔵菩薩像、平安時代作の不動明王像などが安置されている。 |
鎌倉観音巡礼 第17番札所(十一面観世音) |
開山 | 文覚(伝) |
開基 | 源頼朝(伝) |
本尊 | 十一面観音菩薩 |
平安時代後期になると南の補陀洛浄土への信仰が盛んになっていく。 そして、南の海にある「補陀洛山」に行けば、浄土の中で安楽できるという信仰が広まっていった。 源頼朝に仕えていた下河辺行秀は、熊野灘から補陀洛山を目指して船出したのだという。 |
観音浄土へ船出した下河辺行秀〜補陀洛渡海〜 |
補陀洛寺には、平家滅亡の折、総大将平宗盛が持っていたとされる「平家の赤旗」が保管されている。 |
平家の赤旗 |
宗盛塚 (滋賀県野洲市) |
東慶寺の鐘楼には、補陀洛寺から移されたといわれる梵鐘が吊されている。 |
本堂前のサルスベリは樹齢150年ともいわれる古木。 |
補陀洛寺開山の文覚上人は、もとは遠藤盛遠という武士であった。 渡辺(源)渡の妻袈裟御前に懸想し、誤って殺してしまったことから、罪を償うために出家し、熊野山中で修行を積んだといわれる。 京都の伏見区にある恋塚寺は袈裟御前の菩提を弔うために文覚が建てた寺。 |
のちに、神護寺再興を強訴したことで後白河法皇の怒りを買い、伊豆国へ流された。 その時に源頼朝の挙兵を促したとされている。 |
文覚は、補陀洛寺を開いた翌年江ノ島に弁財天を勧請し、奥州平泉の藤原秀衡調伏祈願を行い、1185年(文治元年)の勝長寿院建立の際には、頼朝の父義朝の髑髏を京より持ってきたのだという。 |
源頼朝像 |
文覚裸形像 |
怪僧文覚と源頼朝(okadoのブログ) 運慶〜鎌倉の武家政権と奈良仏師〜(okadoのブログ) |
鎌倉市材木座6−7−31 0467(22)8559 鎌倉駅東口から徒歩30分 小坪経由逗子駅行バス「材木座」下車徒歩2分 |
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