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仏行寺の裏山にある源太塚は、梶原景季の片腕が埋葬されているという古塚。 景季は、梶原景時の嫡男。 北条義時らとともに源頼朝の寝所警護を命じられるなど、頼朝に信頼されていた武将。 木曽義仲追討の宇治川の戦いでは佐々木高綱と先陣争いを演じて武名を上げ、一ノ谷の戦いでは平重衡を捕えた。 謀反の疑いのある源義経の監視役も命じられている。 頼朝亡き後の1199年(建久10年)、父景時が鎌倉を追放されると、ともに相模国の一宮館に退き、翌年正月、上洛を企てたが、駿河国清見関で在地武士に襲われ父景時とともに最期を遂げた(梶原景時の変 享年39)。 片腕は景季が死んだ証として送られてきたのだという。 |
「秋風に草木の露を払はせて君が越ゆれば関守もなし」 1189年(文治5年)の奥州征伐の折に、白川の関で景季が詠んだ歌。 |
景季の死を知った妻信夫(しのぶ)は、嘆き悲しみ自害したのだと伝えられている。 鎌倉山には、景季の妻の「しのぶ塚」があって、「源太塚」と向き合っているのだという。 |
梶原一族の墓 (鎌倉) |
梶原一宮館址 (寒川町) |
磨墨像 (大田区萬福寺) |
身代わり地蔵 (箱根町) |
鎌倉市笛田3−29−22 0467(32)2032 鎌倉駅よりバス 深沢・手広方面藤沢駅行 深沢・天神下経由大船行 梶原口下車徒 |
〜手広・笛田・梶原・寺分・上町屋・山崎の史跡巡り〜 |
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