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仏行寺(日蓮宗)は、源頼朝に信頼された梶原景時の子源太景季の菩提寺。 裏山には、景季の片腕が埋められていると伝わる「源太塚」がある。 梶原父子は、頼朝の死後、御家人66名の弾劾に遭い、鎌倉から追放され、駿河で討死した(梶原景時の変)。 その死を悲しんだ景季の妻信夫(しのぶ)はこの地で自害したといわれ、長く間、夫を慕う泣き声が聞こえてきたのだという。 1495年(明応4年)、信夫の霊を慰めるために村人が建てたのが仏行寺なのだという。 裏山の斜面一面には「ツツジ」が植えられ、安養院と並ぶ名所となっている。 |
開山 | 仏性院日秀 |
本尊 | 十界互具曼荼羅 |
鎌倉の日蓮宗の寺 |
裏山の山頂の古塚は、景季の片腕が埋められていると伝えられ、源太塚と呼ばれている。 |
鎌倉山には、景季の妻信夫のしのぶ塚があって、源太塚と向き合っているのだという。 |
仏行寺の南にある三嶋神社では、正月3が日には仏行寺の僧によって経があげられ、1月15日には、題目が唱えるのが慣習であるという。 |
手広の「三十番神宮」(正式な名称は「稲荷神社」)の10月の祭礼には、仏行寺の住職が出向いて経をあげる習慣となっている。 「三十番神」というのは、1ヶ月30日間、交替で法華経信仰者を守る神と伝えられ、江戸時代まで仏行寺が別当を勤めていた。 |
梶原一族の墓 (鎌倉) |
梶原一宮館址 (寒川町) |
磨墨像 (大田区萬福寺) |
身代わり地蔵 (箱根町) |
来福寺 (品川区) |
梶原終焉の地 (静岡市:梶原山) |
鎌倉市笛田3−29−22 0467(32)2032 鎌倉駅よりバス 深沢・手広方面藤沢駅行 深沢・天神下経由大船行 梶原口下車徒歩10分 |
〜手広・笛田・梶原・寺分・上町屋・山崎の史跡巡り〜 |
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