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梶原山は、御家人66名の弾劾によって鎌倉を追放された梶原景時・景季父子終焉の地。 『北条九代記』によると、1200年(正治2年)1月20日、上洛するため相模国の一宮館を発ち、駿河国の清見関に至った景時一行は、的矢の会から帰る途中だった在地武士に発見され襲撃されてしまう。 狐崎で応戦したが、子の景茂・景国・景宗・景則・景連が討死。 景時と嫡男景季・次男景高は、背後の山に引いて自害したのだと伝えられている。 ただ、『吾妻鏡』は、景時は三沢小次郎に討ち取られ、景季と景高は矢部平次の郎党に討ち取られたと伝えている。 碑に刻まれている「鎌倉本體の武士 梶原景時終焉之地」は、鎌倉の建長寺管長の筆。 建長寺では、毎年7月15日に、景時の霊を慰めるための三門梶原施餓鬼会が行われている。 |
供養塔は高源寺の住職が建てたもの。 |
矢射タム橋の碑 (瀬名川古戦場) |
梶原父子の墓 (梶原堂) |
高源寺 (景時一族供養碑) |
清見寺 (大玄関の血天井) |
曲金観音堂 (狐ヶ崎古戦場) |
馬頭観音 (狐ヶ崎古戦場) |
静岡市葵区長尾1134 新静岡駅・JR静岡駅から竜爪山線瀬名新田行バス「瀬名リンク西奈前」下車 徒歩約1時間 |
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