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清見寺(せいけんじ)は、白雉年間(650‐654)、清見関(関所)の鎮護のために建てられた仏堂が始まりと伝えられる。 当初は比叡山を本山とする天台宗寺院だったが、1262年(弘長2年)、京都の東福寺を開いた円爾(聖一国師)が招かれて禅寺として中興された。 その後、足利尊氏・今川義元に崇敬され、江戸時代には徳川氏の保護を受け、朝鮮通信使や琉球使の接待が行われている。 少年期に今川氏の人質として駿府に出された徳川家康は、今川氏の菩提寺である臨済寺を開寺させ、清見寺を中興した太原雪斎の教育を受けたのだという。 臨済宗妙心寺派。 本尊は釈迦如来。 |
三河国の岡崎城で誕生した徳川家康は、8歳のときに今川氏の人質となり、11年間を駿府で過ごした。 |
人質となった竹千代〜織田・今川の人質だった徳川家康〜 |
大玄関は徳川家康の娘・振姫の寄進と伝えられ、天井板は清見関の古材で血痕が付いたもの。 血痕は、1200年(正治2年)正月20日、鎌倉を追放され上洛しようとした梶原景時と在地武士の合戦で付いたものといわれている。 |
鐘楼は1863年(文久3年)の改築。 梵鐘は1314年(正和3年)の鋳造。 1590年(天正18年)、豊臣秀吉による小田原征伐が開始されると、伊豆の韮山城攻撃の際に陣鐘として使用されたのだという。 韮山城は徳川家康の説得により開城している。 |
臨済寺 |
宝泰寺 |
臨済宗妙心寺派の清見寺・臨済寺・宝泰寺は「駿河三刹」と称された。 |
静岡市清水区興津清見寺町418−1 JR興津駅から徒歩15分 |
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