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臨済寺(りんざいじ)は、享禄年間(1528ー1532)、今川氏親が出家させた三男・芳菊丸を琴渓承舜に預けるために建立した善得院を始まりとする寺院。 芳菊丸とは、のちの今川義元。 承舜が亡くなると、芳菊丸は承舜のあとを継いだ太原雪斎とともに建仁寺に入って得度して栴岳承芳と名乗り、さらに妙心寺で大休宗林に学んで駿河に戻ったが・・・ 1536年(天文5年)、今川家の家督を相続した長兄の氏輝が亡くなり、同日に次兄の彦五郎も亡くなると、承芳は還俗して義元を名乗って家督を継承。 義元は氏輝を善得院に葬り、氏輝の法号「臨済寺殿用山玄公大居士」に因んで臨済寺に改称したのだという。 幼少期に今川氏の人質となった徳川家康が預けられていた寺と伝えられ、家康も義元と同様に雪斎から教育を受けていたのだという。 1568年(永禄11年)、武田信玄の駿河侵攻により焼失するが、1582年(天正10年)、武田氏滅亡後に駿河国を手に入れた家康は、正親町天皇の勅命によって復興に努めたのだという。 臨済宗妙心寺派。 本尊は阿弥陀仏。 |
本堂(方丈)には、駿河国の勅願寺であったことを示す「勅東海最初禅林」の額が掲げられている。 臨済寺は、清見寺・宝泰寺とともに「駿河三刹」と称された。 |
山門には、家康の元服式が行われた静岡浅間神社にあった仁王像が安置されている。 |
山門の大龍山の額は、最後の将軍・徳川慶喜が揮毫したもの。 |
座禅堂には、徳川家康の念持仏・摩利支天が安置されている。 摩利支天は、静岡浅間神社の八千戈神社に置かれていたもの。 |
2018年(平成30年)に再建された今川義元の霊を祀る廟所。 |
「天澤寺殿前駿大守四品禮部侍郎秀峰哲公大居士」は義元の戒名。 義元の菩提寺は天澤寺だったが、衰退したため廟所が臨済寺に移されたのだという。 奥の五輪塔は義元の兄氏輝の供養塔。 |
桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、家督は氏真が継ぐが、間もなく戦国大名今川氏は滅亡。 氏真は流浪生活を送り、晩年は江戸に移住して死去。 義元の三男・今川長得創建の萬昌院に葬られた後、氏真の孫・直房が観泉寺に改葬した。 |
掛川城を開城した後の今川氏真〜徳川家康の援助を受けた生涯〜 |
三河国の岡崎城で誕生した徳川家康は、8歳のときに今川氏の人質となり、11年間を駿府で過ごした。 のちに駿府城を築城し、大御所として晩年を過ごした。 死後は久能山に葬られている。 |
人質となった竹千代〜織田・今川の人質だった徳川家康〜 |
今川氏の人質だった徳川家康は、1555年(天文24年)3月、今川義元を烏帽子親として元服。 元服式は静岡浅間神社で行われた。 |
清見寺は、徳川家康の師・太原雪斎が中興した寺。 |
静岡市葵区大岩町7−1 JR静岡駅からバス(しずてつジャストライン)で「臨済寺前」下車 |
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