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萬昌院功運寺は、萬昌院と功運寺が合併した寺。 正式名称は龍寶山萬昌院功運禪寺。 萬昌院(ばんしょういん)は、1574年(天正2年)、駿河国の戦国大名・今川義元の三男・今川長得(一月長得)が江戸城の半蔵門近くに創建。 1615年(慶長19年)12月28日に死去した長得の兄・今川氏真は萬昌院に葬られた。 1701年(元禄14年)3月14日に起こった赤穂浪士の討ち入り(赤穂事件)で討たれた吉良義央もこの寺に葬られている。 吉良家は、今川家の本家筋にあたる。 功運寺(こううんじ)は、1598年(慶長3年)、松平・徳川に仕えた永井家宗家二代・永井尚政が江戸城の桜田門外に創建。 尚政は、徳川秀忠の時代に老中を務めた人物。 萬昌院と功運寺は、移転を繰り返した後、大正時代に現在地に移転され、1948年(昭和23年)に合併している。 宗派は曹洞宗。 本尊は釈迦如来。 |
萬昌院を創建した今川長得(一月長得)の墓と供養塔。 萬昌院に葬られた今川氏真の墓は、のちに氏真の孫・直房が母の墓とともに観泉寺に移している。 |
掛川城を開城した後の今川氏真〜徳川家康の援助を受けた生涯〜 |
赤穂事件で討たれた吉良義央と曾祖父義定・祖父義弥・父義冬の墓。 義央は三河吉良氏。 三河吉良氏は、三河一向一揆で松平家康(徳川家康)に敵対したが、高祖父の義安が相続を許され、曾祖父義定が江戸幕府に仕えることとなった。 |
※ | 松平家康に敵対した吉良義昭〜三河一向一揆〜 |
高輪泉岳寺は、吉良義央の討って処刑された赤穂浪士が葬られた寺。 |
吉良氏の祖は、源頼朝に仕えた足利義兼の孫・長氏。 北条時政の曾孫・北条政子の姪孫。 三河国幡豆郡吉良荘を領して吉良を名乗った。 今川氏は、吉良長氏の次男・国氏が三河国幡豆郡今川荘を領して今川を名乗ったことに始まる。 |
功運寺を開いた永井尚政の一族の墓。 永井氏は、尾張国に勢力を張り、平治の乱後、源頼朝の父源義朝を暗殺した長田忠致の兄・長田親致を祖とする。 尚政の祖父・重元が三河国に移って松平広忠(徳川家康の父)に仕え、徳川家康に仕えた父・直勝は、主君を殺害した忠致に繋がるとして「永井」に改姓させられている。 |
旧台徳院霊廟 惣門 |
秀忠の宝塔 |
徳川秀忠の時に老中となった尚政は、増上寺の秀忠廟(台徳院霊廟)に石の五重塔を奉納しているのだという。 |
東京都中野区上高田4-14-1
JR中央線・大江戸線「東中野駅」より徒歩12分。 地下鉄東西線「落合駅」より徒歩8分。 西武新宿線「新井薬師駅」より徒歩10分。 |
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