|
江戸幕府二代将軍徳川秀忠の霊廟の惣門だった建物(重要文化財)。 台徳院(だいとくいん)は 秀忠の院号。 霊廟は、秀忠が死去した1632年(寛永9年)に増上寺境内南側に建立された。 徳川家霊廟の中で最も規模の大きなものだったが、1945年(昭和20年)の東京大空襲で大部分が焼失。 惣門・勅額門・御成門・丁字門が残された。 惣門は現地に保存されたが、勅額門・御成門・丁字門は、1960年(昭和35年)に所沢市の狭山不動寺(埼玉県)へ移築されている。 |
安置されている仁王像は、胎内の銘札から川口市西立野の西福寺の仁王門に安置されていたものと判明している。 1948年(昭和23年)に浅草寺に移され、1958年(昭和33年)頃までに、この惣門に安置されたと考えられている。 |
1945年(昭和20年)の東京大空襲で霊廟が焼失した後、土葬されていた秀忠の遺体は荼毘に付され、徳川将軍家霊廟に改葬されている。 |
第二次世界大戦後の増上寺周辺の市街地区画整理に伴って、徳川家の遺物が全国の寺社に譲渡された。 甲州市の恵林寺に譲渡された石棺は、2015年(平成27年)に崇源院(お江)のものであることが判明している。 |
秀忠の霊廟の北には、秀忠より先に死去した正室崇源院の霊屋が建てられていたが、秀忠の没後、崇源院は台徳院霊廟に祀られ、旧崇源院霊屋は1647年(正保4年)に鎌倉の建長寺に移築されている。 |
建長寺の方丈勅使門、西来庵中門も崇源院の霊牌所にあった建物。 |
方丈勅使門 |
西来庵中門 |
東京都港区芝公園4−7−35 |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
|