中世歴史めぐり

徳川氏発祥の地 松平氏発祥の地
家康生誕地 東照宮

徳川家康



観 泉 寺
〜今川氏真の墓〜


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観泉寺


 観泉寺(かんせんじ)1597年(慶長2年)、多摩郡下井草に創建された観音寺を始まりとする寺院。

 1645年(正保2年)、今川直房が上井草に移転。

 時期は不明だが寺名も観泉寺に改められた。

 直房は、今川氏真の嫡男・範以の子。

 高家今川家の祖。

 1662年(寛文2年)、萬昌院にあった祖父・氏真の墓を観泉寺に改葬し、今川家の菩提所とした。

 そのため、氏真を開基、観音寺に仕え観泉寺の伽藍整備に尽力した直房の姉を中興としている。

 曹洞宗の寺院で、正式名称は寶珠山觀泉禪寺。

 本尊は釈迦如来。



観泉寺山門
山門


観泉寺山門額
山門掲額


観泉寺本堂額
本堂掲額









今川氏累代の墓
今川氏累代の墓

 左から二番目が宝篋印塔が今川氏真の墓。

 その左が正妻の早川殿(北条氏康の娘)の墓。

 氏真は、駿河国・遠江国の戦国大名・今川義元の嫡男。

 義元は、駿府の今川館を本拠に三河国や尾張国の一部にまで領土を拡大させたが、桶狭間の戦いで織田信長に討たれてしまう。

 家督を継いだ氏真は、武田信玄に駿河国を奪われ、逃げ込んだ遠江国の掛川城徳川家康に攻められて開城。

 これによって戦国大名の今川氏が滅亡した。

 氏真は、のちに家康に仕え、次男の品川高久は高家品川家の祖、孫の今川直房は高家今川家の祖となっている。



武田信玄の駿河侵攻と徳川家康の遠江侵攻


リンクボタン掛川城を開城した後の今川氏真〜徳川家康の援助を受けた生涯〜





〜東照宮の宮号宣下〜

 「高家」は、幕府の儀式典礼を司り、将軍の名代として京都との交渉などを行う役職。

 1645年(正保2年)、今川直房は公卿の菊亭経季(今出川経季)と交渉して「東照宮」の宮号宣下を実現させている。

 その功により、井草村など三か村五百石の加増を受けて、観音寺を現在地に移転して観泉寺に改め、萬昌院から祖父・氏真と母の墓を観泉寺に改葬したのだという。



(参考)
久能山東照宮
リンクボタン久能山東照宮
(静岡市)
日光東照宮
リンクボタン日光東照宮
(日光市)









観泉寺
観泉寺

東京都杉並区今川2−16−1

西武新宿線「上井草駅」より徒歩15分



萬昌院・観泉寺
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