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高源寺は、臨済宗妙心寺派の寺院。 本尊は十一面観世音。 開基は、承久の乱で軍功のあったという高橋維之。 開山は、鎌倉の浄妙寺・浄智寺・円覚寺・建長寺の住持を歴任し、円覚寺塔頭続燈庵を塔所とする大喜法忻(だいき ほうきん・仏満禅師)。 開基と開山との時代に隔たりあるので、仏満禅師の時代に再興されたのかもしれない・・・ 本堂は久能寺にあった建物で静岡市指定文化財。 本堂前には、駿河国で最期を遂げた梶原景時一族の供養碑がある(静岡市指定文化財)。 |
久能寺は久能山にあった寺院で、武田信玄が久能城を築いた際に北矢部に移転した。 明治の廃仏毀釈により廃寺となり、その時に高源寺が建物を買い上げたのだという。 久能寺が創建された久能山には、徳川家康の死後、東照宮が建てられている。 |
「不尽乾坤燈外燈龍没」と刻まれ、側面には「三拾三人是也」と刻まれている。 「悠久無限の天地にあって、太陽と月の光は消えることがない。その光を浴び、龍の如き英雄がここに眠る」という意味なのだとか。 駿河国で滅亡した梶原一族33名の供養碑と伝えられ、33名の首が吊るされた場所に建てられていたが、高源寺に移されたのだという。 |
愛馬「磨墨」に乗馬する梶原景時とその一族。 磨墨は狐ヶ崎の合戦で敵の矢に斃れ、村人たちに葬られたのだと伝えられ、曲金の馬頭観音は、その場所に建てられているのだという。 |
伝説によると・・・ 梶原一族が滅亡した後、一族の忠僕がこの地を尋ねてきたが、すでに主人はなく、悲しんだ忠僕は病気になって亡くなってしまった。 あわれに思った里人によって葬られたのだが、夜な夜な唸り声がしたことから、地蔵を建てて丁寧に供養したのだという。 その地蔵を再建したのが「うなり地蔵」。 |
景時終焉の地 (梶原山) |
梶原父子の墓 (梶原堂) |
矢射タム橋の碑 (瀬名川古戦場) |
清見寺 (大玄関の血天井) |
曲金観音堂 (狐ヶ崎古戦場) |
馬頭観音 (狐ヶ崎古戦場) |
静岡市清水区高橋2−7−4 清水駅・入江岡駅・桜橋駅から徒歩約30分 清水駅からバス 山原線「高橋」下車 梅ケ谷蜂ヶ谷線・北街道線「高橋4丁目」下車 |
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