|
寺院・神社に関する記述について、最も適当なものを1〜4から選びなさい。 |
円覚寺の山門に掲げられている「圓(円)覚興聖禅寺」の扁額を書いたとされるのはだれか。 |
1 無学祖元 3 後深草天皇 |
2 北条時宗 4 伏見上皇 |
円覚寺山門の扁額は、伏見上皇の宸筆と伝えられています。 建長寺山門の扁額は後深草天皇の宸筆といわれています。 |
3体あるうち2体が国の重要文化財になっている、杉本寺の本尊は何か。 |
1 十一面観音像 3 如意輪観音像 |
2 阿弥陀如来像 4 千手観音像 |
杉本寺の本尊は三尊同殿で、行基、慈覚、恵心の作と伝えられている十一面観音像です。 |
鎌倉江の島七福神のうち、弁財天があるのはどこの社寺か。 |
1 銭洗弁財天宇賀福神社 2 鶴岡八幡宮 3 本覚寺 4 長谷寺 |
鎌倉江の島七福神は、 浄智寺の布袋尊、 鶴岡八幡宮の旗上弁財天社の弁財天、 宝戒寺の毘沙門天、 妙隆寺の寿老人、 本覚寺の夷神、 御霊神社の福禄寿、 長谷寺の大黒天、 江島神社の弁財天の計八箇所です。 銭洗弁財天宇賀福神社は含まれていません。 |
成就院と補陀洛寺には、ある僧の荒行の様子を表した独特の表情が印象的な瓜二つの像があるが、その僧はだれか。 |
1 日蓮 3 蘭渓道隆 |
2 文覚 4 無学祖元 |
文覚の荒行像です。 補陀洛寺と成就院の文覚像は、横浜の証菩提寺の像を模刻したものと考えられています。 |
鎌倉五山についで寺格が高い10の関東の禅宗寺院を関東十刹と定められたが、寺分にある関東十刹の1つにも数えられた寺院はどこか。 |
1 泉光院 3 東光寺 |
2 大慶寺 4 等覚寺 |
五山十刹の制度は臨済宗寺院の格式を表すもの。この中で臨済宗の寺は大慶寺のみ。 鎌倉に残る寺院では、大慶寺のほか瑞泉寺が関東十刹に数えられています。 |
近辺には長らく執権北条氏を補佐した安達一族の屋敷跡があり、ノーベル賞作家川端康成も近くに住んでいた神社はどこか。 |
1 龍口明神社 3 荏柄天神社 |
2 由比若宮 4 甘縄神明神社 |
長谷の甘縄神明神社の近くには、川端康成が住み、小説『山の音』を書いています。 源頼朝に仕えた安達盛長は、甘縄神明神社を建てた染屋時忠の子孫ともいわれています。 |
甘縄神明神社 |
安達盛長邸 |
鎌倉五山のうち、世界遺産登録候補地に含まれている組み合わせとして正しいのはどれか。 |
1 建長寺・円覚寺・壽福寺 2 建長寺・円覚寺・浄智寺 3 建長寺・円覚寺・浄妙寺 3 建長寺・壽福寺・浄智寺 |
世界遺産登録候補地は、24箇所です。 |
現在の鶴岡八幡宮の若宮を再建造営した人物はだれか。 |
1 豊臣秀吉 3 徳川秀忠 |
2 徳川家康 4 徳川綱吉 |
鶴岡八幡宮の若宮は徳川秀忠が、本宮は徳川家斉が再建しています。一の鳥居は徳川家綱の寄進です。 |
光明寺について、次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。 |
1 | 山門の「天照山」の扁額は、後花園天皇の御宸筆と伝えられている。 |
2 | 江戸時代には、関東十八檀林の筆頭寺院として栄えた。 |
3 | 境内には、作家久米正雄の胸像、俳人高浜虚子の句碑、評論家高山樗牛の住居跡などもある。 |
4 | 後土御門天皇から「十夜法要」が勅許され、今日まで念仏法要が行われている。 |
作家久米正雄の胸像、俳人高浜虚子の句碑、評論家高山樗牛の住居跡などがあるのは長谷寺です。 |
荏柄天神社について、次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。 |
1 | 本殿は鎌倉最古の木造建築である。 |
2 | 源頼朝は幕府の鬼門の守護神として崇敬した。 |
3 | 京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに日本三天神の1つである。 |
4 | 「かっぱ筆塚」があり、石碑の裏の文字に揮毫したのは芥川龍之介である。 |
荏柄天神社の「かっぱ筆塚」の裏の文字は、川端康成の揮毫です。 |
寺院・神社について関連あることがらの組み合わせとして誤っているものを1〜4から選びなさい。 |
1 建長寺・北条時頼 2 円覚寺・北条時宗 3 宝戒寺・北条時政 4 常楽寺・北条泰時 |
宝戒寺は、後醍醐天皇の命により足利尊氏が建立した寺院で、北条時政とは関係ありません。 |
1 とげぬき地蔵・多聞院 2 どこも苦地蔵・明月院 3 黒地蔵(火焚き地蔵)・覚園寺 4 身代わり地蔵・延命寺 |
どこも苦地蔵堂は瑞泉寺です。 |
寺院・神社について、次の説明文の[ ]に最も適当なものを1〜4から選びなさい。 |
鎌倉宮を創建したのは[ @ ]で、その祭神は[ A ]である。足利氏と対立して囚われ、中先代の乱に際して、鎌倉から逃げる[ B ]の命令によって首をはねられたという。 [ A ]が戦いのとき、兜に忍ばせ自身の無事を祈ったという言い伝えから、拝殿には[ C ]が置かれている。 |
@ | |
1 後醍醐天皇 3 大正天皇 |
2 明治天皇 4 伊藤博文 |
A | |
1 護良親王 3 後醍醐天皇 |
2 新田義貞 4 楠木正成 |
B | |
1 足利尊氏 3 足利直義 |
2 足利義詮 4 足利直冬 |
C | |
1 獅子頭 3 狐像 |
2 天狗像 4 身代わり人形 |
鎌倉宮は、護良親王のために明治天皇が建てた神社です。護良親王は、足利尊氏と対立し、この地あった東光寺に幽閉されました。北条時行の中先代の乱が起こると、鎌倉を守っていた足利直義(尊氏の弟)は、淵辺義博に命じて護良親王を殺害し、鎌倉を逃れます(参考:理智光寺跡 護良親王の墓)。 護良親王が戦いの際に兜に忍ばせたのは、獅子頭です。お守りとしても売られています。 |
@ 2 A 1 B 3 C 1 |
瑞泉寺は、1327年(嘉暦2)、[ @ ]によって創建された。足利基氏をはじめ、代々の[ A ]の菩提寺として、塔頭も10を超え、関東十刹第一位の格式を誇った。 岩盤を削りだした池泉式庭園は、本堂裏に発掘復元され、国の名勝に指定されている。本堂には徳川光圀寄進の千手観音像(市重文)、[ @ ]像(国重文)などが祀られている。また裏山には「[ B ]やぐら」「瑞泉寺やぐら群」があり、境内は国の史跡に指定されている。 境内には吉野秀雄の「死をいとひ 生をもをそれ 人間の ゆれ定まらぬ こころ知るのみ」と刻まれた歌碑、[ C ]の「男の顔は履歴書である」と刻まれた評論碑、久保田万太郎の「いつぬれし 松の根方ぞ 春しぐれ」と刻まれた句碑、山崎方代の「手の平に 豆腐をのせて いそいそと いつもの角を 曲がりて帰る」と刻まれた歌碑がある。 |
@ | |
1 蘭渓道隆 3 無学祖元 |
2 夢窓疎石 4 天岸慧広 |
A | |
1 関東管領 3 鎌倉公方 |
2 征夷大将軍 4 執権 |
B | |
1 お塔 3 瓜ヶ谷 |
2 塔糸 4 百八 |
C | |
1 小林秀雄 3 広津和郎 |
2 大宅壮一 4 中村光夫 |
瑞泉寺は、二階堂道蘊が夢窓疎石を開山として創建した瑞泉院がはじまりです。 足利基氏が中興して瑞泉寺とし、代々鎌倉公方の菩提寺として発展しましたが、4代足利持氏が永享の乱に敗れると衰退します。 夢窓疎石(夢窓国師)坐像は国の重要文化財です。 裏山には北条高時の供養塔があるお塔やぐらがあります。 文学にも縁の深い寺で、江戸時代には徳川光圀が『新編鎌倉志』を編纂させたといわれています(参考:瑞泉寺庭園)。 |
@ 2 A 3 B 1 C 2 |
|
|
★鎌倉検定の受検お申し込みは 鎌倉商工会議所ホームページへ |
|