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芸術・文化に関する記述について、最も適当なものを1〜4から選びなさい。 |
次のうちで最も古く開館したのはどれか。 |
1 神奈川県立近代美術館 2 鎌倉国宝館 3 鎌倉文学館 4 鎌倉芸術館 |
神奈川県立近代美術館は昭和26年、鎌倉国宝館は昭和3年、鎌倉文学館は昭和60年、鎌倉芸術館は平成5年に開館しました。 |
※ | 神奈川県立近代美術館鎌倉館は、2016年(平成28年)に閉館し、その建物は、2019年(令和元年)より鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムとして利用されています。 |
『当麻曼荼羅縁起絵巻』を所蔵しているのはどこか。 |
1 円覚寺 3 高徳院 |
2 川端康成記念会 4 光明寺 |
『当麻曼荼羅縁起絵巻』は、奈良当麻寺の浄土変相図の由来を描いた上下2巻の絵巻で国宝です。光明寺の所蔵です。 |
鎌倉五山文学の代表的な詩文集は何か。 |
1 『常山紀談』 3 『蕉堅藁』 |
2 『金槐和歌集』 4 『元享釈書』 |
五山文学の詩文集としては、義堂周信の『空華集』、絶海中津の『蕉堅藁』があげられます。 『金槐和歌集』は源実朝の家集。 |
建長寺法堂の天井に掲げられている『雲龍図』に描かれている龍の爪は何本か。 |
1 3本 3 5本 |
2 4本 4 6本 |
天井に雲龍を描くということは、「法の雨を降らす」という意味があります。 昔は、日本における雲龍の爪は3本だったそうですが、建長寺の法堂の雲龍図は5本の爪です。 創建750年を記念して、小泉淳作によって描かれました。 |
平和都市宣言50周年を記念して、新しく作られた石碑に宣言文を揮毫した人物はだれか。 |
1 蓮田衆吾郎 3 養老孟司 |
2 平山郁夫 4 吉田秀和 |
「鎌倉と映画」について、次の説明文で内容に誤りを含むものはどれか。 |
1 | 松竹大船撮影所最後の作品は、山田洋次監督の「学校W」であった。 |
2 | 西御門の川喜多長政の旧居跡は鎌倉市に寄贈され、かしこ夫人の遺志により、映画資料館の建設が検討されている。 |
3 | ほとんどの小津作品に出演していた笠智衆は、松竹の大船移転にともない、大船観音寺近くに移り、没するまで暮らした。 |
4 | 映画監督小津安二郎は、「晩春」、「麦秋」、「東京物語」、「秋刀魚の味」などの多くの名作を発表し、晩年北鎌倉に住んだ。 |
川喜多長政邸は西御門ではなく、雪ノ下にあります。平成22年4月、川喜多長政の邸跡に鎌倉市川喜多映画記念館が開館しました。 |
旧川喜多邸別邸 |
映画記念館 |
「鎌倉天王唄」について、次の説明文で内容が正しいものはどれか。 |
1 | 拍子木、四つ竹などの鳴り物に合わせて、派手な着物を着て踊る。 |
2 | 源頼朝が鶴岡八幡宮を造営した時には、この唄を勇ましく歌いながら、境内まで材木を運んだと伝えられている。 |
3 | 除災・招福を祈るために、山飾りを立て、その「山」の内で舞う。 |
4 | 手斧始式で、御神木が二の鳥居から舞殿まで運ばれる時に歌われている。 |
1は、「飴屋踊り」の説明、3は「鎌倉神楽」の説明、4は「鎌倉木遣唄」の説明です。 |
潮神楽 (汐まつり) |
手斧始式 |
「いざ鎌倉」にまつわる伝説について、次の説明文で内容が正しいものはどれか。 |
1 | 暖をとる薪の代わりに秘蔵の梅、松、桜の鉢の木をためらいもなく炉にくべながら、主が旅僧姿の北条時頼に武士の心得を語った。 |
2 | 寺の谷奥に住んだ狸が世話になったお礼にと和尚に化けて勧進した。 |
3 | 北条政子が承久の乱に際し、源頼朝の御恩を語り御家人を結束させた。 |
4 | 戌神将が白い犬に姿を変えて、その者に危機を告げ、禍はさけられた。 |
「いざ鎌倉」という言葉は、北条時頼の廻国伝説から生まれたもので、謡曲「鉢の木」として知られています。 |
芸術・文化について関連あることがらの組み合わせとして誤っているものを1〜4から選びなさい。 |
1 | 鎌倉文学館・前田利為 |
2 | 白日堂・佐藤宗岳 |
3 | かいひん荘 鎌倉・村田一郎 |
4 | 鎌倉市長谷子ども会館・諸戸清六 |
佐藤宗岳の店舗として建てられたのは寸松堂です。 鎌倉文学館は加賀藩第十六代当主前田利為によって建てられました。 かいひん荘は富士製紙社長村田一郎の邸宅、鎌倉市長谷子ども会館は諸戸清六の別邸でした。 |
芸術・文化について関連あることがらの組み合わせとして誤っているものを1〜4から選びなさい。 |
1 金沢文庫・北条義時 2 松ヶ岡文庫・鈴木大拙 3 鎌倉文庫・久米正雄 4 常盤山文庫・菅原通済 |
金沢文庫は、北条実時によって建てられました。 |
芸術・文化について、次の説明文の[ ]に最も適当なものを1〜4から選びなさい。 |
5代執権北条時頼に仕えたと伝えられる[ @ ]は、ある夜幕府に出向く途中、[ A ]の上で、袋に入れておいた10文の銭を滑川に落としてしまった。[ @ ]は家来に50文で松明を買ってこさせ、沢床を照らして探し出した。この話を聞いた同僚が「[ @ ]は勘定知らずだ。10文探すために50文を使って損をしている」と笑った。すると「常人の勘定はそうだろう。しかし、銭が川に沈んだままでは、永久に使われることはない。50文で松明を買えば、それを作っている町民や、商っている商家も利益を得られる」と、笑った人々を諭した。 |
@ | |
1 青砥藤綱 3 宿谷光則 |
2 三浦泰村 4 石井長勝 |
A | |
1 裁許橋 3 夷堂橋 |
2 十王堂橋 4 東勝寺橋 |
青砥藤綱の東勝寺橋での伝説です。 |
『[ @ ]』によれば、[ A ]は大軍を率いて鎌倉に迫った。ところが稲村ヶ崎から鎌倉につづく道は狭く、波打際には逆茂木が並べられ、沖合いには北条軍の大船数百隻が、横矢を鋳掛けて侵入を防ごうと並んでいたという。とても突破できるような状況ではなかったが、[ A ]は腰に差していた黄金造りの太刀を抜いて海中に投げ込み、海に向かって「わが軍のために道を開き給え」と[ B ]に祈った。するとその日の夜、二十町余りも潮が引き、横矢を射かけようとしていた船も遥か遠くへ行ってしまった。軍勢はなだれを売ったように干潟を渡り、鎌倉に攻め入ったと伝えられている。 |
@ | |
1 太平記 3 東関紀行 |
2 吾妻鏡 4 増鏡 |
A | |
1 足利尊氏 3 楠木正成 |
2 新田義貞 4 護良親王 |
B | |
1 摩利支天 3 八幡神 |
2 龍神 4 韋駄天 |
新田義貞の龍神伝説です。太平記に描かれています。 |
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