|
次の各問いについて、最も適当なものを1〜4から選びなさい。 |
日本三大鳥居の一つである、現在の鶴岡八幡宮大鳥居(一の鳥居)を寄進した人物は誰か。 |
1 徳川秀忠 3 徳川家綱 |
2 徳川家光 4 徳川綱吉 |
鶴岡八幡宮の一の鳥居・二の鳥居・三の鳥居は、江戸幕府四代将軍徳川家綱によって寄進されましたが、関東大震災で崩壊し、一の鳥居だけが当時の石造に再建されています。 |
なかなか成功しなかった円覚寺の洪鐘鋳造にあたり、北条貞時はある神様に祈り、そのお告げにより池の底の金銅を使い鋳造を成功させることができたという伝説があるが、その神様は何か。 |
1 弁財天 3 夷尊神 |
2 大黒天 4 福禄寿 |
北条貞時は、江ノ島の弁財天に七日七夜参籠し梵鐘を鋳造したと伝えられています。洪鐘の前には弁財天が祀られていて、61年目ごとに開帳されています。 |
鎌倉三名鐘の一つである建長寺の梵鐘を鋳造した鋳物師はだれか。 |
1 物部重光 3 物部国光 |
2 国松原七 4 田中藤左衛門 |
建長寺の梵鐘は、大旦那北条時頼、撰文蘭渓道隆で、鋳物師は物部重光です。円覚寺の梵鐘は、大旦那北条貞時、撰文西澗子曇で、鋳物師は物部国光です。 |
次の戦いとかかわりの深い源氏の組み合わせで正しくないものはどれか。 |
1 | 平忠常の乱 ・・・源頼信・頼義 |
2 | 前九年の役 ・・・源頼義・義家 |
3 | 保元の乱 ・・・源為朝・義朝 |
4 | 富士川の合戦 ・・・源頼朝・頼家 |
平忠常の乱は、源頼信が子の頼義とともに乱を鎮圧した戦い。 前九年の役は、頼義・義家父子が安倍一族を征伐した戦いで、戦後、頼義は由比若宮(元八幡)を建立しています。 保元の乱では、義朝と為義の父子が戦い、為義は義朝に処刑され、義朝の弟為朝は伊豆大島に流されています。 富士川の合戦の時には、頼家は誕生していません。 |
次の花木の名称と社寺の組み合わせで正しくないものはどれか。 |
1 | 「太郎庵」 ・・・光明寺 |
2 | 「古代青軸」 ・・・荏柄天神社 |
3 | 「隠れイチョウ」 ・・・鶴岡八幡宮 |
4 | 「侘助」 ・・・英勝寺 |
「太郎庵」は覚園寺の地蔵堂裏にあるツバキです。 「古代青軸」は荏柄天神社拝殿前に植えられた梅。 「隠れイチョウ」は源実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝説の木。鶴岡八幡宮の大石段左の大木です。 「侘助」は英勝寺祠堂前のツバキです。 |
※ | 残念なことですが、鶴岡八幡宮の大銀杏は、平成22年3月10日未明に倒れてしまいました。 |
次の東慶寺に関係する人物の組み合わせで正しくないものはどれか。 |
1 後醍醐天皇・・・用堂尼 2 安達泰盛・・・覚山尼 3 豊臣秀頼・・・天秀尼 4 足利基氏・・・清渓尼 |
東慶寺開山の覚山尼は、北条時宗の妻で御家人安達泰盛の妹でした。 五世用堂尼は後醍醐天皇の皇女、二〇世天秀尼は豊臣秀頼の娘で、徳川秀忠の娘千姫の養女でした。 足利基氏の未亡人清渓尼は、尼五山の第一位だった太平寺を中興した人物。 |
次の北条氏と有力御家人のできごとを、時代の古い順に並べたときに正しいものはどれか。 |
ア | 和田合戦で和田氏が滅びる。 |
イ | 霜月騒動で安達氏が滅びる。 |
ウ | 宝治合戦で三浦氏が滅びる。 |
エ | 将軍の後見であった比企氏が滅びる。 |
1 エ→イ→ア→ウ 2 イ→エ→ア→ウ 3 エ→ア→ウ→イ 4 ウ→ア→エ→イ |
源頼朝が1199年(建久10年)に亡くなると、御家人の権力争いが激しくなり、1200年(正治2年)には梶原景時が御家人の弾劾にあって追放され、駿河国で討たれます(梶原景時の変)。 1203年(建仁3年)には頼朝の弟阿野全成が北条時政と結んで源実朝を将軍に据えようとしますが、謀反の罪で捕らえられ誅殺されます。 同年、比企能員が北条時政邸で暗殺され、一族も北条義時らに攻められ滅亡。 将軍だった源頼家も伊豆修禅寺に幽閉され、翌年暗殺されました(比企氏の乱)。 1205年(元久2年)には、北条時政に騙された畠山重忠父子が討たれ(畠山重忠の乱)、 1213年(建保元年)には侍所別当の和田義盛が北条義時の挑発にのって合戦に挑み由比ヶ浜で最期を遂げました(和田合戦)。 その後、北条一族の対立や執権と摂家将軍藤原(九条)頼経などとの対立も起こりますが、北条時頼が五代執権になると、1247年(宝治元年)に宝治合戦が起こり、三浦泰村が敗れ、一族が法華堂で自刃しています。 八代執権北条時宗が亡き後の1285年(弘安8年)には、安達泰盛が平頼綱と対立して敗れ、安達氏が滅亡しています(霜月騒動)。 |
鎌倉五山を創建が古い順に並べたときに正しいものはどれか。 |
1 | 建長寺→円覚寺→壽福寺→浄智寺→浄妙寺 |
2 |
円覚寺→建長寺→壽福寺→浄智寺→浄妙寺 |
3 |
浄妙寺→浄智寺→壽福寺→建長寺→円覚寺 |
4 |
浄妙寺→壽福寺→建長寺→浄智寺→円覚寺 |
1188年(文治4年)、足利義兼によって浄妙寺が建てられます。 1200年(正治2年)、源頼朝の菩提を弔うため北条政子によって壽福寺が建てられます。 1253年(建長5年)、北条時頼によって「日本初の禅専門道場」の建長寺が建てられます。 1281年(弘安4年)、北条宗政の菩提を弔うために北条師時らによって浄智寺が建てられます。 1282年(弘安5年)、元寇の被害者の菩提を弔うために北条時宗によって円覚寺が建てられます。 |
4択式マークシート方式の問題 その2へ |
★鎌倉検定の受検お申し込みは 鎌倉商工会議所ホームページへ |
|