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北條寺は北条義時創建と伝わる寺で、裏山には義時と後妻伊賀の方の墓が建てられている。 |
北条義時の嫡子安千代丸と大蛇の伝説(北條寺創建伝説) |
義時は、大蛇に呑み込まれて死んだ嫡子安千代丸の菩提を弔うため北條寺を建てたのだのだとか・・・ |
豆塚神社は、北条義時が崇敬したという社。 珍場神社には、嫡子安千代丸の霊が祀られている。 |
願成就院は、1189年(文治5年)、北条時政が源頼朝の奥州討伐の戦勝を祈願して建立。 北条三代(時政、義時、泰時)にわたって、次々に堂宇が建立され繁栄を極めた。 本尊阿弥陀如来坐像・不動明王と二童子像(矜羯羅童子・制咤迦童子)・毘沙門天像は、時政の発願により造立された運慶の真作。 伽藍は平泉の毛越寺を模したものだったという。 |
北条館は、北条の里の中心にある守山の麓にあった。 |
狩野川の対岸には、江間郷を得た北条義時館があったのだという。 |
鶴岡八幡宮は、源頼朝が武家の都の中心に据えた武門の神。 北条義時は、源実朝が暗殺された日、信仰していた大倉薬師堂の戌神が鶴岡八幡宮の楼門の前に現れて命を救われたのだという。 |
覚園寺は、義時が建てた大倉薬師堂を前身とする寺。 |
六波羅探題は、承久の乱後に朝廷の動きを監視するため設置された鎌倉幕府の出先機関。 六波羅蜜寺周辺には、平清盛をはじめとする平家一門の屋敷が建ち並んでいた。 六波羅探題の役所は、平清盛邸を改築したものだったのだという。 |
1223年(貞応2年)、義時は富士山本宮浅間大社の遷宮の儀を執り行った。 |
同年、北口本宮富士浅間神社の東宮本殿を創建。 |
大円寺の本尊・清凉寺式釈迦如来は、北条義時の菩提を弔うために建てられた釈迦堂(鎌倉・廃寺)にあった像と伝わる。 |
1224年(元文元年)6月13日に死去した北条義時は、源頼朝の墳墓の東の山上に葬られた。 |
鎌倉幕府の草創のはじめ、北条時政は江の島に参籠したのだという。 その時、龍神が落としていった3つの鱗を北条の家紋としたのだとか(ミツウロコ(三つ鱗))。 |
建長寺 |
円覚寺 |
明月院 |
浄智寺 |
東慶寺 |
和田合戦後、北条義時は山内荘(北鎌倉)を手に入れました。 以後、北条得宗家の所領として管理され、禅寺が建ち並ぶようになりました。 |
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