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北条氏のミツウロコについては、一般的に平べったい三角形(二等辺三角形)を3つ、三角形の形に並べたものが、北条得宗家のものであるという説がある。 鎌倉検定でも以下のように出題され、3番が正解となっている。 上の写真は円覚寺塔頭佛日庵のミツウロコ。 |
○鎌倉時代、源実朝暗殺以降、幕府の実権は執権である北条氏が握ったが、北条氏の家紋はどれか。 |
1番については、北条氏の傍流の紋であるとか、後北条氏の紋であるともいわれているが、果たしてどうなのであろうか。 |
上の旗は、北条時宗が若狭の海人に与えたといわれる「北条氏過所船旗」。 下は東勝寺跡で発見された平瓦に描かれたミツウロコ。 |
いずれも、平べったく見えるものの、一定の形になっているとはいえないようである。 |
※ | 「過所船旗」は、京都大学総合博物館蔵で、神奈川県立歴史博物館の常設展には模造が展示されている。 |
建長寺 庫裡の瓦 |
円覚寺正続院 山門の瓦 |
北条執権館の跡に建てられたという宝戒寺では正三角形のミツウロコ。 鎌倉時代を代表する二人の偉大な執権が建立した建長寺や円覚寺では、主に平べったい二等辺三角形のミツウロコが使用されているようである。 しかしながら、鎌倉の寺は、その多くが江戸時代以降に建てられたもので、寺で使用されているミツウロコがいつの時代のものかは定かではない。 また、今のようにきれいに同じ三角形が並ぶようになったのは、早くても戦国時代からと考えられ、紋として定着したのは江戸時代以降と考えられる。 また、徳川家の紋である「三つ葉葵」を見てもわかるとおり、時代によってその形が微妙に変化するということは多々あり、北条氏のミツウロコも時代によって変化しているとも考えられる。 そもそも、北条氏が使用していたミツウロコは、源頼朝の命によって旗に記された「北条のマーク」で、頼朝が「誰の旗か、あるいは、あの軍は敵か味方か」がわかればよい程度のものであって、三角形の種類を気にして使用されていたとは考えにくい。 上の写真でもわかるとおり、建長寺や円覚寺でも、注意して観察してみるといろんな三角形のミツウロコがあることがわかる。 |
宝戒寺の徳崇大権現会の時の写真。使用されているのは、正三角形のミツウロコ。 |
圓應寺の鐘楼前に並べられた瓦には、2種類のミツウロコがある。 |
江島神社 |
御神紋 |
伝説によると北条氏の家紋は、北条時政が江の島に参籠したときに得た龍神の3つの鱗。 江島神社の御神紋もミツウロコ。 |
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