北条義時の嫡子安千代丸と大蛇の伝説 |
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昔、伊豆国江間の池田郷には、大池があって大蛇が住んでいたのだという。 伝説によると・・・ 江間小四郎(北条義時)の嫡子・安千代丸が11歳のときのこと。 陣野村にあった千葉寺の寺子屋で学問に励んでいた安千代丸は、その帰りに大池の大蛇に呑み込まれてしまう。 家来たちから事件を知らされた小四郎は、大いに怒ったが、大蛇のやったことなので、なすべき手段や方法がわからなかった。 ある時、小四郎は大蛇の左眼を射た。 すると、大蛇はどこかへ去っていったのだという。 その後、池は徐々に浅くなり、田地となって、その地は「池田」と名付けられたのだとか。 |
北條寺は、安千代丸の死を悲しんだ小四郎が、その菩提を弔うために建てたのだという。 北條寺の山号は巨徳山。 ただ、寺伝や伝説によると、義時が建てた頃は萬徳山だった。 |
北江間にある珍場神社には、嫡子安千代丸の霊が祀られている。 |
北条義時は、江間荘の在地領主で、江間小四郎と称していたのだという。 小四郎ではなく小次郎という文献もある。 北條寺の義時墓には小次郎と刻まれている。 |
八重姫は伊東祐親の娘。 源頼朝と結ばれて男児を産んだが、祐親の怒りに遭い江間小四郎(江間小次郎・江間次郎とも)に嫁がされたのだと伝えられている。 江間に嫁いだ八重姫が産んだ子は、義時が養育したという伝説もある。 もしかすると、義時の嫡子だったという安千代丸がその子ということも・・・ あるいは、八重姫は義時と結婚して男児を産んだということも・・・ さらに、安千代丸の弟となる泰時も八重姫が産んだということも・・・ |
江間四郎・江間小四郎と呼ばれた北条義時 |
北条時政邸跡 (北条郷) |
北条義時邸跡 (江間郷) |
北条義時は、北条郷を本拠とした豪族・北条時政の次男。 義時は分家の江間家の初代と考えられている。 |
願成就院は、北条時政が源頼朝の奥州討伐の戦勝を祈願して建立した寺院。 |
静岡県伊豆の国市南江間862−1 伊豆箱根鉄道駿豆線韮山駅より徒歩25分 |
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